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「牧野サンおはよう」

研修2日目の朝。
いつものようにショコユカコンビと朝食を食べていた牧野サンを目ざとく見つけ、トレー片手に隣へ座る。
彼女はすでに半分くらい食べ終わっていて、俺の態度が意外だったのか、箸を咥えたまま目を丸くした。
正面に座ってるショコやユカも大体同じような感じで。
後ろからやってくる田村だけが、やれやれ・・・って感じで小さくため息。


「お・・・はよう」

「今日もいい天気で、暑くなりそうだね。1日中建物の中で勉強しなきゃいけないなんて、マジで嫌だと思わない?」

「・・・うん」


小皿に醤油入れて、海苔につけてご飯を巻いて。
もぐもぐと朝食を平らげていく様を、女子陣があんぐりと見てる。


「草野くん・・・昨日あれから、何かやばいものでも食べた?」

「いや、なんで?」

「変だから」


というのはショコの言葉。
ユカは味噌汁のお椀を持ったままうなずいて。
・・・まったく、失礼な奴らだ。


「俺はいつもと一緒です。で、牧野サン」


失礼な奴らはこの際無視。
満面の笑顔を浮かべて、牧野サンに話しかける。
ちょっと肩をびくつかせたところを見ると・・・俺、不自然かもしれない。
でもいいの。
自然に顔がほころんじゃうくらいに気分がいいから。


「今日は講義何受けるの?」

「えっと・・・午前中は日本史と数学応用で、午後は現代文と古典と英語応用だけど・・・」

「マジで?午前中俺と一緒じゃん。じゃあ、一緒に受けようね」

「・・・・え?」

「わかんないとこあったら教えてね。俺も教えるから」


じゃ・・・と、ものの数分で平らげたトレーを片手に、笑顔でその場を離れた。
固まったままの3人娘と、未だ1口も食べていない田村。
うん、確かに自分でもおかしいと思うよ、かなり浮かれてるって。
でも、仕方ないじゃん。
これが浮かれずにいられますか?いられないでしょ?うん、いられないに決定。
もうスキップしちゃいそうなくらい軽い足取りで食器を返しに行く。
ほんと、今日はどんなに過酷なスケジュールでも難なくこなせちゃう気がするね。









もちろん、機嫌がいいのには理由がある。
田村に夜這いかけたから?
うん、近いものはあるけど・・・って、ないよ、全然。
あれから2人で風呂入って
――って言うと、ちょっと怪しいよな・・・もちろん2人きりじゃなかったことは付け加えておこう――
俺がふらふらと部屋に入ってしまってからのあらましを教えてもらった。




『花火の日、テツヤのせいでバラバラになった後の出来事を聞きだしたら、
 牧野さんは顔を真っ赤にしながら、2人に話した・・・ってことだ。 誰にも言わないで・・・という条件つきで』


・・・ちょっと意外だった。牧野サンが話したってこともだけど、顔赤くしたって、赤くしたって・・・


『普通、嫌な相手だったら顔真っ赤にしないと思うぜ?下手したら、そんなこと口に出さないかもしれないし』

『そう・・・かな』

『そうだろ。自分で仮定してみろよ、お前得意だから。
 自分の嫌いな奴に突然手つかまれたら、それを進んで言うか?』


田村の出したお題をしばし想像して・・・おえってなった。
誰・・・とは言わないが、例えば自分があまり・・・かなり好きじゃない子に手をつながれたら。
俺なら絶対誰にも言わない。
田村にも言わない。
そいつが誰かに口外しないことを祈りつつ、その秘密を墓場まで持っていこうと誓うだろう。


『だろ?』


俺の表情見て、考えてること読み取った田村くんは、
風呂上りのミネラルウォーターをごくごくと喉を鳴らしながら飲む。
その豪快な飲みっぷりをみて、こっちまで清々しくなった気がした。


『・・・じゃあ、俺少しは自信もっていいと思う?』


牧野サンに好かれてるって、うぬぼれていいわけ?
なんか、かなりどきどきしてきたんですけど。


『それは俺にはわからない。うぬぼれるのはどうかと思うけどな、嫌われてないことは確かだと思うぞ』


田村の言葉は少し厳しかったけれど。
でも、それが本物のような気がして、すっげーうれしかった。

俺、牧野サンに嫌われてない

たったそれだけのことなんだけど、俺って単純。
今まで落ち込んでたのが嘘みたいに気持ちが明るくなって。
朝になったら、牧野サンに挨拶してたくさん話しかけようって、すっげー前向きになった。











楽しい時間はあっという間に過ぎる。
朝食での公言通り、午前中の講義は牧野サンの隣を陣取って、一緒に勉強した。
時々わかんないところがあれば、ノート覗き込んだり教えてもらったりして。
もちろん、数学は俺が教えるほうが多かったけどね。
これだけは負けてらんないよ。
自分の気持ちが盛り上がってるからなのか、吸収率がすっごく良くてさ。
なんだか自分がめちゃくちゃ勉強して、頭良くなったような気がした。
けど。


「・・・だりー・・・まだこの先があるなんて、マジで最悪・・・」


夜の休憩には、すでに部屋でマグロ・・・だったりする。


「午前中から張り切りすぎだっての。妙なテンションだったぞ、お前」

「・・・だよね」


十分承知してます。
気まずそうな牧野サンに気まずさ感じさせないようにってさ、なんかすっげー気を遣って。
俺がバカやってれば、笑えるし突っ込めるし。


「人に気遣い過ぎて、自分がへばってたら意味ないだろ・・・」


はい、おっしゃる通りです。
でも、おかげで牧野サンと楽しくお勉強できたわけだしさ。
ま、物事は二通りの見方ができるってことで、とりあえずこの件は自己完結。


「そういや、テツヤの話聞いた?」

「テツヤの話?」


自分のことで盛り上がっててすっかり忘れてたけど、そういえばめっきり静かだったよな。
ユカの怒鳴り声が聞こえるってこともなかったし。


「あいつ、1人だけ別部屋で勉強だってさ」

「・・・マジで?」

「しかも、桜井先生の監視付き」

「・・・・・」


テツヤ、頑張れ。
思わず心の中で合掌した。


「でも、なんで?」

「そりゃ・・・色んな理由があるだろうな。ここでやってる勉強、あいつには無意味とかさ。今回の罰とか。
 藤原さんに迷惑かけないようにとか」


しかしテツヤも気の毒に。
ユカと一緒にいたいがために、無謀な計画してここにもぐりこんだのにさ。
ばれて大目玉喰らった上に、当初の目的は達成されず、ユカからも遠く離されて。


「・・・今日当たり、花火でもやっとくか?」


ディバッグの中で眠る花火の束。
最後の夜も、学校側の行事として花火が企画されてるけどさ、それは学校が準備してくれてるはずだし。
せめてもの楽しみ・・・じゃないけど、テツヤにそれくらいプレゼントしても、罰は当たらないような気がする。
ユカだって鬼じゃないんだから、きっとそれくらい付き合ってくれると思うし。
・・・そりゃ、多少は足蹴にされるかもしれないけどさ。


「マグロにそんなこと言われてもなぁ・・・」


自習時間終わり次第寝ちまいそうな奴と、そんな約束したくない・・・と田村が言った。
ま、その通りなんですけどね。


「大丈夫、自習中に居眠りしてでも花火やるよ」

「じゃ、テツヤにメールしとくな」

「自習室でユカに会うから、直接伝えとくよ」


午後は牧野サンとは離れ離れだったけど、今度はユカと一緒だった。
数学教えてほしいところがあるとかってさ、自習の約束したんだよね。
・・・こんなこと、テツヤに知られたら殺されそうだけど。












「えー・・・別に慰めなくてもいいじゃん。自業自得なんだからさぁ・・・」


・・・予想以上に冷たいユカの言葉に、さすがの俺もびっくりです。
花火やろうって誘いには首をぶんぶん振って賛成したくせに、テツヤの話を出しただけでこの態度の変わり様。
自習教室に移動して、約束の数学教えて。
一息ついたときにそれとなく言ったら、この調子。


「一応さ、テツヤはユカと一緒にいたいがために無理やりここに来たんだぜ?少しはその気持ち・・・」

「あたしの気持ちはどうなるのよ?そりゃ、少しは遊びたい気持ちもあったけど、
 『勉強する』ことを前提としてここまで来たんだよ。 なのにさ、あいつのせいでそれすら危うくなって。
 あいつはいいかもしれないよ?自分のしたいこと、自由にしてんだもん。
 迷惑かけられるのはあたしだよ?あ・た・し」
 

・・・ごめんなさい。
ユカの剣幕はほんとに怖くて、俺はそれ以上何も言えなかった。


「そりゃね、あいつといると確かに楽しいよ。でもね、今回のことはちょっと許せない。
 好きだからあきらめるってことも必要でしょ?ホントにあたしのこと好きだって言うんなら、
 こういう時くらいは邪魔しないでほしいよ」

「・・・確かにね」


ユカの言い分はもっともだ。
好きだからこそそっと見守ることも大切だと思う。
ただ闇雲に追いかけるだけじゃ、好きなんだか執着なんだか、わかんなくなっちゃう。


「じゃあ、花火は中止にしとく?」

「・・・もう、あいつに言っちゃったんでしょ?」

「田村がメールしただけだから、まだ何とでもなると思うよ」


そう言うと、ユカは大げさにため息。
仕方ないなぁ・・・という表情をして。


「いいよ、言っちゃったんなら付き合う。あのバカも反省してるでしょ・・・」


それに・・・と、今度は笑いながら言葉を続ける。
よくもこんなに表情が変えられるものだ。


「たまにはショコのためにも・・・ね。田村くん、来るんでしょ?」

「花火?もちろん」

「明日はすごいことになるだろうし、今日も一緒に花火できるって言ったら、あの子泣いて喜ぶよ」

「かもね」

「草野くんも、つくしと一緒に花火したいだろうし」

「うん」

「田村くんに聞いたんでしょ?昨日の話」


でなきゃ、朝あんなに機嫌いいはずないもんね・・・と、ユカは自己完結。
隣で小さくうなずいて、ノートに目を向けてシャーペン持ち直した。







自習の後は自由行動だけどさ、一応崎やんには許可取っとこうと思って、『花火やります』って言いに行った。
そしたら。

「研修棟燃やすなよー」

なんて笑っててさ。
さすがにそんな花火は持ってきてないよ。
線香花火とか、手で持って楽しめるやつと、子供だましの打ち上げ花火。
掃除道具入れからバケツ拝借して、自習の荷物片付け次第、駐車場に集合。
でもテツヤはなかなか来なくてさ。


「なあ、テツヤ来ないの?」


花火の束、ばらしてる田村に聞いた。


「わかんない。メールの返事ないんだよ」

「桜井センセの個人レッスン、長引いてるとか?」

「それはないだろ、ここまで来る間に、先生と廊下ですれ違ったから」


テツヤがノーリアクションなんて珍しい・・・なんて田村と笑ってたら。
研修棟の方から人影ひとつ。


「うわさをすれば・・・だけど」


やっぱり派手なTシャツ着たテツヤ。
でも、だぶだぶのジーンズのポケットに両手突っ込んで、肩落とす姿はらしくない。
表情もどこか浮かなくて。
でも、それは1日中桜井センセに絞られたから・・・というわけでもないみたいだ。


「・・・遅かったな」

「・・・悪い」


軽く右手を上げて、ちらりと俺らを見て。
それから気まずそうにきょろきょろとあたりを見回す。
何を探してるのか・・・ってのは愚問で。
ユカの姿見つけて、なんだか可哀想なぐらいに体が硬直したのがわかった。
テツヤの視線に気づいたのかな、ショコと牧野サンと一緒に絵型花火で遊んでたユカがふと顔を上げて、
表情を硬くした。


「・・・ちょっとごめんね」


3人の輪を抜けると、ゆっくり歩いてテツヤの前で立ち止まる。
俺も田村も、思わず息を呑んだ。
2人も心配そうにこっちに寄ってきてさ。
ユカがおもむろに左手をあげたから。


「・・・・っ」


止めに入ろうとして、田村に無言で制された。
いや、2人の間に入っちゃいけないのはわかるけどさ、暴力はもっとやばいだろ?
・・・でも。



「・・・調子乗りすぎ」












平手打ち炸裂・・・と思ったのは、どうやら杞憂に終わったらしい。
あげた左手をこぶしにして、ユカはテツヤの胸元をこつんと押しただけだった。
力なんて大したことないんだろうけど、テツヤは一歩下がってさ。
珍しい、「ごめんなさい」って、すげー小さな声で謝った。
 

「あんたが行くはずだったコースの友達からメールが入った。今日、いろんな専門学校のパンフレット配ったって。
 自分の将来もかかってんだからさ、もっと慎重になってよ」

「・・・はい」


わかればよろしい・・・と、ユカはテツヤの背中を叩く。
心配そうに田村の横に立ってたショコを促して、花火の続き。
最初は気まずそうだったテツヤもおずおずと歩き出して、ユカの隣にちょこんとしゃがんだ。


「一件落着・・・か?」

「なんか、そんな感じ」


別に俺たちが心配することじゃなかったかもしれないけどさ。
大事にならなくて・・・ってか、ユカのお怒りも解けたみたいだし、テツヤもちょっと元気出たみたいだし。
これに懲りて、テツヤももう無茶はしないだろう・・・と。
ふぅ・・・と安堵の息を吐いて・・・気付いた。


「・・・あれ?牧野サンは?」


さっきまでショコと一緒にいたはずなのに、その姿が見えない。
また花火始めたのかな?と思ったけど、そうでもない。


「すぐに戻ってくるんじゃないの?」


田村はさほど心配していない様子で、早くも線香花火で遊ぶ奴らの仲間入り。
でもさ、俺すっげーやな予感がして。


「ちょっと見てくる」


って、その場を離れた。
トイレ・・・とかって、本館に戻ってるんならいいんだけどさ、なんかそうじゃないような気がした。
いやな予感って、結構当たるから。
いくら外灯があるとはいえ、女の子1人で薄暗い道をずっと入っていくとは思えない。
だから、本館の周辺にはいると思うんだけどな・・・


「・・・・・・」


ふと、誰かの話し声が耳についた。
あまりに小さくてぜんぜん聞き取れなかったんだけど。
誰だろ・・・と思って、声の主を探してみたら、それは意外にも牧野サンだった。
浜辺に向かう道に立つ街頭にもたれて、話をする姿を目にする。
彼女は電話に集中してて、俺が来たことに気付いてないみたいで。
心配して損した・・・と思うと同時に、何事もなくて安心した。


「・・・邪魔しちゃ、悪いし」


本館との距離はそんなにないから、心配するほどのことでもないだろうし。
とりあえず、駐車場に戻って花火をしよう・・・と踵を返した瞬間。

  

「だから、もう関係ないの」


叫び声にも似た、牧野サンの苦しそうな声が聞こえた。
思わず足が止まっちゃって、足が止まったら、今度は動けなくなった。
彼女の、あんな声を聞いたのは初めてで、何故だかわからないけど、急に胸がドキドキし始めた。
さすがに盗み聞きはやばいだろ?
だからって、姿を見せる勇気は俺にはない。
結局動けないまま、彼女の話はどんどん進んじゃってさ。


「こっちに来るって決めた時に、東京でのことは忘れることにしたの。その気持ちは変わらない。
 だから、いまさらそんなこと言われてもどうすることもできないよ・・・」


不意に、初めて見た彼女の笑顔を思い出した。
桜吹雪の中、振り返ったときの、あの泣きそうな儚い笑顔。

不意に、花火大会の時のことを思い出した。
彼女が『誰か』と一緒に見た、きれいな花火のこと。
 
これ以上、ここにいちゃいけないって言う自分がいる。
でも、ここまで聞いちゃった以上、全部知りたい・・・って言う自分もいる。
2人の『自分』に板ばさみにされて、どうしようもなくなってる俺のことなんかお構いなしに、
牧野サンの電話はどんどん進んでいってさ。


「とにかくあの人たちに、特に花沢類には絶対にあたしの居場所教えないで。じゃあね」


そう言い捨てて、電話を切った。
電話を切ったってことは、俺が今いる場所を通って花火やってる駐車場まで戻るってことで。
その瞬間、魔法が解けたみたいにふと足が動いた。
この場で姿を見られちゃいけないって、牧野サンに俺がここにいたこと知られちゃいけないって思ったから、
足音殺して、急いで駐車場へ戻った。

『ハナザワルイ』

その名前だけは、絶対に忘れちゃいけない。
そう思いながら。





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