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 夏、である。夏、といえば海だったり山だったりを連想するわけで、海ですいか割りをしてみたり、
山でキャンプファイヤーしてみたり・・・といきたいところだが、ここは哀しき受験生。
お天道様が許してくれても、ウチの母さんが許しちゃくれない。
『勉強しなさい!』と、鬼のような形相でにらみつけられたら、さすがの俺もたまったものじゃない。
それでも海行き、山行きのバスに揺られて、窓の外をぼんやりと眺めながら自己嫌悪と感傷に浸ってるのは、
いったいどういうことだろう。


「マサムネ静かすぎ!もうちょっといっしょに遊ぼうぜぇ?」


 前の席に座るテツヤがヌッと顔を出した。普通だったら驚くところだけど。


「・・・・おまえうるさい。あと10分もしたら着くんだぜ?ちょっとくらい静かにしてたら?」


 冷たい視線投げかけて、やっぱり冷たい口調で言った。でも奴はぜんぜんめげてなくて。こいつ一体いくつだよ。
息を吹き込むと、紙でできた部分がぴーって伸びるおもちゃを俺の顔に向かって吹いた。
ちょうど額のど真ん中にそれが当たって。
隣に座ってる田村も、これにはさすがに吹き出した。なんかむかつくな。俺結構本気で不機嫌なのに。

 田村をじろりとにらむと、ちょっとばつの悪そうな表情浮かべて、前に居直る。


「テツヤ、草野が嫌がってるだろ?」


 いまさらフォローしても遅いっつーの。
でもその言葉を口にするのも億劫だったから、黙って窓の外の景色に目をやった。


「ちょっとー、マジでマサムネつれなーい!」


 最初は無視してたんだけどさ、冷血漢とか、人でなしとか、いつまでたってもテツヤは1人で騒いでて。
田村もぜんぜん止めてくれなくて――下手に口を出して、矛先が自分へ向くことを懸念してだと思うけど――
いいかげんぶちきれた。


「おまえマジでうるさいよっ!少しは黙ってろっ」


 バス中に響き渡る声。
それまで雑談の声なんかで結構騒がしかったんだけど、音がぴたっとなくなって、ちょっと嫌な空気が流れて。
バスに乗ってるやつらの視線が、一気に集中したのがわかった。
ちょっとやばいかな・・・って思ったけど。


「草野、おまえが1番うるさい」


 1番前に座ってた崎やんの痛いお言葉。その瞬間、バス中に笑いが起こった。
それで空気が和んだんだけどさ。テツヤはばつの悪そうな表情で俺を見て、無言で前を向いた。
小さな声で『ごめん』ってつぶやいて。ああ・・・これじゃ完璧な八つ当たり。
なんか情けねー・・・小さくため息ついて、肩を落とす。


「気にすんな。バス降りるときにはいつものテツヤに戻ってるって」

「・・・だといいけどな」


 俺の胸を軽くごついた田村。ありがとうの意味もこめて、同じ仕草を返した。

 さて。俺たちが向かっている場所は、福岡県立少年自然の家「玄海の家」である。
もちろん、キャンプファイヤーしたりテント設営したりハンゴウスイサンしたりして遊ぶわけじゃない。
研修棟を借り切って行うのは、言うまでもなく学習合宿・・・である。
朝起きて勉強して、昼メシ食って勉強して、晩メシ食って勉強して、へろへろになって寝る・・・
という、3泊4日、魔のカリキュラムである。
とはいっても、息抜き程度のレクは企画されてるんだけどね。
海辺で花火するとか、小高い丘に登って星を見るとか、その程度だけど。

 小さい研修施設だから、城南生全員がそこへ行くわけではない。
「玄海の家」コースは、「国立文系コース」または「私立文系・数学必須コース」の奴らである。
宮田なんかは理系コースだから、また別の場所――海の中道青少年の家――へ行ってる。
で、専門狙う奴や高卒公務員狙う奴はまた別の場所のはずなんだけど・・・


「・・・テツヤはなんでこのバスに乗ってるわけ?」


 窓の外眺めながら、田村に聞いた。でも、聞くだけ無駄ってやつだよな。


「言うまでもない・・・だろ」


 そのとおりである。最後部から聞こえるあの声。もちろん、ショコとユカと牧野サン。


「離れて座るなんて、珍しいよな」

「6組が乗るバス探してたら、出遅れたんだとよ」


 我等が6組は、全員が国立文系を狙う奴ら。なので、必然的に行き先は同じなのだ。
ちなみに、テツヤ達の10組は、国立文系・私立文系混合クラス。行き先はテンデバラバラなのである。


「でも、あいつこのコース選択してないだろ?」


 花火大会の日に言っていたとおり、テツヤは専門学校志望のはずだ。
数学はおろか、学力筆記試験だってあるかどうか微妙なのに。


「だから、それは愚問だって言ってるだろ」


 ああはいはい、そうですね。やっぱりユカ・・・ですか。それで合点がいったよ。
バスに乗って出発した直後、崎やんに小言言われてたんだよね、テツヤ。
乗るバスどころか、目的地まで勝手に変えちゃえば、そりゃ怒られるわな。


「勉強の内容、ついてこれるのかな」

「心配する必要ないと思うぜ。どうせ藤原さんの顔眺めてるだけだろ」


 果たして、ユカはテツヤがこのバスに乗っているという、衝撃的な事実に気づいているのだろうか。
玄海の家に着いたら、そこら中でユカの怒鳴り声が聞こえるんだろうな・・・そう考えたら、少し気が滅入った。










 もちろん、妙に気分がむしゃくしゃするのは、花火大会が原因。

 手を握られて、牧野サンが困ってるのはわかってた。
でも、手を離したら、俺の存在忘れられちゃう気がして、どうしても離せなかった。

   

汗で少し湿った掌。
彼女が少しでも動かすと、その度に強く握って。
どうしてもそっちに意識が行って、花火なんて途中からどうでもよくなってた。
花火に集中しようと思って、一生懸命見てるんだけど、全然ダメなの。花火、見えない。俺の目に映んないの。
ううん、ちゃんと花火が映ってるんだろうけど、脳が認識しないってのが正しいかな。
綺麗とか眩しいとか、そんなことぜんぜんわかんなくて。

とにかく、牧野さんの意識をどうしたら俺に向けたままいられるかって、
そんなことばっかりフルスピードで頭回転させて考えた。

 花火は刹那的だ。どんなに綺麗で、どんなのその形を留めておきたいとしても、絶対に叶えられない。
空に咲く大輪の花は、一瞬にしてその姿を失ってしまう。どんなに願っても、必ず消えてしまう。
でも、それでいいと思った。刹那的でいいと思った。
どんなに短くても、たとえ一瞬でも。牧野サンの心の中から、あの悲しい笑顔の原因を消すことができたら。
牧野さんの心の中に、俺の姿が刻み込まれたら。それだけでいいと思った。
たとえ、たった一瞬だとしても。




 ジーンズのポケットで震えるケータイで、ふと我に返る。
それは『人の波に飲まれて、すでに公園の外に出てしまった』という田村からの電話で。
無理してまで一緒に帰る必要もないし、どうせウチで着替えなきゃいけないから、俺んち前集合ってことで電話を切った。
ちょっと名残惜しかったけど、いつまでも手を握ったままでいるわけにも行かないし。
しぶしぶ彼女の手を放した。


『花火、すっげー綺麗だったね』


 ほんとはぜんぜん覚えてないんだよ。
でも、わざと『普通』を装って、何事もなかったかのように牧野サンに話し掛けた。


『・・・そ、そうだね。最後の連弾なんて、めちゃめちゃ綺麗だったよね・・・』


 ちょっとどもりながら、視線をきょろきょろ泳がせて答える。
俺はじっと彼女を見つめてたけど、その間絶対に視線を合わせようとはしなかった。無理もないけどさ。


『田村たち、もう公園の外へ出ちゃったんだってさ。俺んちで待ってるって言ってたから、帰ろうか』

『うん・・・』


 行こう・・・と、俺はもう一度彼女の手を握った。
手に触れた瞬間、牧野サンはちょっとだけ体をこわばらせたっけ。
でも気づかないふりしてそのまま歩き始めた。

 無理やりにでも手をつないで良かったと思う。
花火が始まる前は、場所取りやら何やらで見物客の集まる時間はまちまちだけれど、
終わった後に帰る時間はみんなほぼ同じだ。
帰り道は行き以上に混雑してて、人波と同じ速度でゆっくり進むことしかできない。
歩いている間にも前に後ろに横にと割り込んでくる奴がいてさ。
手をつないでなかったら、絶対にはぐれてた。
身動きの取り辛い浴衣姿で、慣れない街の人ごみの中で、もし俺とはぐれちゃったら、
牧野サン帰って来れなくなっちゃう・・・は大げさかもしれないけど、でもきっとすごく困るだろうから。
そして、もしそんなことになったら、俺すっげー後悔すると思うから。


『田村たち、どこで花火見たんだろうね?』

『・・・どうなんだろう。あたしこの公園のことよくわかんないけど・・・でも、よく見える場所だったらいいね』

『テツヤ、あれからユカに怒られたのかな?』

『多分、鉄拳くらいはくらってると思うよ。ユカって三輪くんには容赦ないからね・・・』


 そんな他愛のないことを話す帰り道。俺たちはよくしゃべって、よく笑った。手をつなぎながら。
でも、お互いにがちがちに緊張しててさ、花火の間のことには絶対に触れなかった。
俺からその話題をふるわけにはいかなかったし、牧野サンから『どうして手をつないだの?』って尋ねられても、
絶対に答えられない自信があった。
気持ちがばれちゃうとかそういうことじゃなくて、何ていうんだろう、半分は無意識だったわけで、
彼女を慰めたいとか、元気出してほしいとか、俺のこと考えてほしいとか、
昔あったことを知りたいとか知りたくないとか、もうとにかくいろんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざっちゃって、
何て例えたらいいのか全然わかんなかった。


 好きな女の子と手をつなぐときは、もっとワクワクして、ドキドキするものだと思ってた。
なんか形容が乙女チックだけどさ。
でも実際はすっげー苦しくて、緊張どころの騒ぎじゃなくて、何で彼女に触れてるのにこんなに辛いんだろうとか、
こんなに悲しいんだろうとか、ネガティブな思いしかなくてさ。正直言って辛かった。


 大濠の駅で手を離して、無言で電車に揺られる。朝の通勤ラッシュ波に混雑した車内。
牧野サンが押しつぶされないように、転ばないように・・・ってかばうことだけで精一杯だった。
今になって思い出すと、抱きしめてるカッコだったんだよね、あれって。
右手でつり革につかまって、左手で俺の正面に立つ彼女の背中に手を回してさ。
・・・って、今になって赤面かよ、情けねー・・・

 電車降りて家までの道を歩く。室見からはそんなに混雑してないし、何よりご近所だ。
ここで出をつなぐわけにはいかない。間に人1人分のスペース開けて、やっぱり他愛のないこと話してた。
最後の門を曲がって、家の灯りが見えたとき、そのまま走り出したいくらいに嬉しくなって。
家の中入って田村の顔見たときには、思わず奴に抱きついた。


『おまえ、気持ち悪い・・・』


 女子陣は和室で着替え中。
テツヤが覗こうかどうしようかなんてバカなこと言ってたけど、付き合ってる余裕なんてなかった。


『頼む、帰り牧野サン送ってってよ。俺ショコ送ってくから。その方がお前も都合いいだろ?』


 抱きつきながら、小さな声で田村に言った。ショコには申し訳ないが、今回だけは我慢していただこう。
俺、このまま牧野サン自転車に乗せて送っていけるほど人間できてないから・・・。


『別にいいけど・・・何か・・・』

『後日報告』


 田村の言葉を遮って、最初に出てきたショコの荷物、有無を言わさず取り上げて、
彼女の手を引いて「送ってくる!」と叫び、玄関を出た。
着替え中に田村との間で取り交わされた契約――などと呼べるほどたいそうな物でもないが――
など知る由もないショコは、2人並んで走る道すがら、『信じらんない』とか『最悪』とか、ありとあらゆる悪態をついた。


『あたしがわざわざ草野くんの家まで戻ってきた理由わかってる?田村くんに送ってもらうためだよ?!
 そうじゃなきゃ、いったい誰が好きこのんでこんな遠くまで戻るっての?』


確かに、ショコが怒るのも無理はないと思う。大濠公園とショコの家ってのは案外近くて、
こんな夜更けだったら、彼女はそのまま家へ帰った方が実は早かったのである。
荷物なんて明日取りに行くとか、俺が届けに行くとか、どうにでもなることだから。
でも、気付いててもあえて知らん振り。俺って性悪・・・


『服とか荷物のためだろ?』

『そんなもの明日取りに来れば済むことじゃない。あーあ・・・この貸し、大きいよ?』


 もう・・・うるさいな。別に田村だろうが俺だろうが、送ってもらえるんだからいいじゃん。


『仕方ないだろ。牧野サン送っていきたくなかったんだもん』

『あたしだって草野くんに送ってもらいたくないよ』

『・・・じゃあ、1人で帰るか?』


 花火が終わり、家に着いたのが夜の10時半過ぎ。今は11時を軽く回ったところだろうか。
ほぼ夜中といっても過言ではないこの時間。さすがのショコも、1人で帰るのは怖いらしく、口を閉ざした。


『・・・何?つくしと何かあったの?』

『別にー』

 ショコやユカになら言ってもいいと思ったけど、今はうまく言葉にする自信がなかった。
俺の気持ちもまだ落ち着いてなくて、例えてみれば台風で荒れた海?そんな感じだ。


『草野くん嘘下手だよね』

『ほっとけよ』

『ま、別にいいけどね・・・』


 白々しく鼻歌なんて歌っちゃって。
あー、なんかむかつく。鼻歌歌うショコが・・・じゃなくて、言いたいことも言葉にできない俺が。


『・・・落ち着いたら、ちゃんと話すよ』

『待ってる』


 即答だった。でも、嬉しかった。俺のこと心配してくれてるってわかったから。
面と向かって言うのは恥ずかしかったから、ちょっとだけスピード上げて。


『あ、ちょっと待ってよ・・・』


 急いで追いかけてくるショコに、小さな声で『ありがと』って言った。きっと彼女には届いてないと思うけど。









                       


「・・・さの、草野」


 田村に肩ゆすられて、はっと気づく。
いつものことだけど、妄想の世界にとっぷり浸かってた・・・。もしかしたら、寝てたのかもしれないけど。


「着いたぞ。荷物降ろしたからな」


 大きなディバックを膝の上にどすんと置かれる。


「サンキュ・・・」


 田村はにっと笑って、気にすんな、と言った。

 今日の夜にでも、田村にきちんと話をしよう。もしかしたら、勉強でくたくたになって寝ちゃうかもしれないけどさ。
バスから降りたら、夏の太陽がさんさんと俺に降り注いだ。




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