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「つくしが泣いた理由?」


 土曜日の午後。口いっぱいに詰め込んだドーナツを飲み込んだユカが、喉を叩きながら苦しそうな声で言った。
ちょっと呆れ顔でショコがウーロン茶を差し出すと、ごくりと音を立てながら飲む。


「そんなに急いで食べなくたって、誰も取らないよ・・・」


 ショコの言葉に、同意してうなずく。
みんな――ショコも俺も田村も――自分の分があるのだ。
わざわざユカのそれに手を出して、彼女に噛み付かれるほどバカじゃない。

『嫌いな曲だから』という牧野サンの言葉に、悶々と悩むこと約1週間。
その言葉をすんなり流せるわけでもなく、かといって本人に聞く勇気もない。
どうにもこうにも1人で解決できない俺は、とうとう頼みの綱を引いてしまった。
と言っても、田村に相談したところで『わからない』って言われるに決まってるし。
ショコとユカに相談すると、話はそれだけでは終わらなくなるし――
と言うよりも、田村のことを根掘り葉掘り聞かれ、俺が相談する時間なんてなくなるだろう。
だから、苦肉の策としてこの場にいる3人を誘ったのだ。
牧野サンは、毎週土曜の午後からアルバイトなんだって。すごいよね、高校3年生の夏だよ?
まあ、彼女は成績優秀って話だし、狙ってる進学先――短大とか、専門学校とか――によっては、
勉強する必要なんてないのかもしれない。
最初は田村、一緒に来ることすっげー渋ってた――理由は単純。
奴は甘いものが嫌いなのだ――んだけど、女って強いね。
渋る田村に『大丈夫、甘くないドーナツもあるし、飲茶もあるから!』と言う内容の言葉を、
どうすればそんなに複雑に言いまわすことができるんだ?と言う勢いで延々とまくし立てた。
彼女にとっちゃ切実な問題だからね、好きな男と、一緒に出掛けるなんて。
ある意味デートだもんな、俺とユカがいなければ。













「牧野サンが俺らのステージで泣いてたの、2人とも知ってんでしょ?」


 コーラをぐびっと飲みながら聞いてみる。
というか、知らなかったら詐欺だ。友達失格だ。牧野サン挟んで騒いでたのに。


「知ってるは知ってるけど・・・」

「・・・ねぇ?」


 顔を見合わせる2人。少し困ったように顔をしかめて。なんか腹立つわ。まるで隠し事してるみたいでさ。


「なに?友達なのにそんなことも知らない?それとも隠してるわけ?」

「隠してなんかないよ。本当に知らないんだもん。『ちょっと目にごみが入っちゃっただけだ』って。 
 そう言って笑っただけなんだもん、つくし」

「知らない?本気で言ってんの?友達なのに、泣いてる姿を知らんふりして見てたって?
 心配するそぶりも見せずに」

「だって・・・・・」

「突然泣き出した奴に、その理由を根掘り葉掘り聞けるか?おまえなら」


 助け舟を出したのは田村だった。冷静な表情でコーラを飲む姿は、はっきり言ってむかつく。
・・・ちくしょう、こんなときだけ口挟んで。と悪態はついてみるものの、田村の言うことは正しい。
・・・本当はちゃんとわかってる。ショコもユカも、そんなことできる奴らじゃないって。


「ただね、最後の曲が始まるまでは本当に楽しそうだったんだよ、つくし。
 あのオリジナル曲のときも、楽しそうに手拍子してたし、体揺らしてたし」

「・・・知ってる」


 ちゃんとステージの上から見てた、牧野サンの笑顔。
だから俺も嬉しかった。楽しんでくれてるって、ちょっと安心した。
俺の口調がきつかったのかな?ユカがちょっとだけ肩を強張らせた。
テーブルの下で田村に軽く足を蹴られる。『落ち着け』・・・ってことだろ。わかってるよ、ごめん。


「・・・俺、帰るわ。なんか妙に苛々してる」


 乱暴に椅子を引くと、自分のトレーを持ってカウンターに置く。
呼び止める田村の声を無視して、振り返りもせず店を出た。






 ちくしょう

 ちくしょう

 ちくしょう・・・・・

 俺、最低だ。人の心に土足で入り込もうとしたり、それを止めてくれた奴らに辛く当たったり。
バックグラウンドあれこれ詮索しないって決めたのは自分じゃないか。
牧野サンが悲しむことしないって決めたのも、自分じゃないか。
その上、牧野サンのこと気遣って、何も聞けなかったショコとユカにあんなふうに八つ当たりしてさ。
俺でも知ってるよ、『親切の押し売り』って言葉。
興味本位でどうしたの?何かあったの?って聞かれるほど、気まずい事はない。
『放っておいてくれ』とも言えず、だからと言って理由を言う気にもなれず。
彼女たちはそれがわかってたからこそ牧野サンに何も言えなかったのだ。

 何がこんなに俺を苛立たせるのだろう、なんでこんなに心がざわつくのだろう。
たかが牧野サンが泣いただけじゃないか。ハルジオンが嫌いって言っただけじゃないか。
その理由を、誰も知らなかっただけじゃないか。


「草野くんっ」


 うつむいて歩いていた俺の腕を、誰かが力をこめて引く。
振り向けば額に汗して、息を切らせるユカ。やっと追いついた・・・と、小さな声で呼吸の間に言った。


「・・・何?」


 何とか搾り出した自分の声は、子供っぽくて滑稽だ。
低くて、篭っていて、あからさまに機嫌の悪さが出てて。ばつが悪くてユカの顔を見ることができない。


「急に帰っちゃうんだもん、びっくりしちゃったよ。どうしたの?」

「・・・・・」


 八つ当たりだ・・・ってわかってるけど、『どうしたの?』と尋ねる彼女に無性に腹が立った。
どうしたもこうしたも、あんたたちが何も知らないから悪いんだ・・・って。
でも、そんなこと口に出せるわけないから。


「・・・・・別に何も」


 と言うしかなかった。


「何もないのに突然飛び出したりしないでしょ?ショコも田村くんも驚いて・・・」

「何もないって言ってるだろ?!」
                         


 ユカの手を振り払って、思い切り怒鳴りつけた。
背の低い彼女。一瞬目を見開いて、俺の顔見上げて見つめて。
どんどん恐怖の色が濃くなっていくのがわかる。でも、止められなかった。


「しつこいよ、俺が何もないって言ったら何もないんだよ。俺の気持ちも何にも知らないくせに・・・」


そうだ、自分で言って気が付いた。俺は知りたいんだと。
でも、その欲求が満たされないから、こんなに苛々しているのだ・・・と。
『俺は牧野サンが好きだから、彼女のことは何でも知っていて当然だし、知らなければいけない』

 自分でも気付かなかったエゴ。直接聞き出す勇気はないくせに、でもどうしても知りたくて。
牧野サンにあんな表情させた曲に、作った藤原くんに。
急に彼女の表情を変えた女性雑誌の写真に、謎だらけの英徳学園に。
『淋しい街』と言わせた東京に。彼女に関わる全てに嫉妬する。

 涙の理由を知りたい。彼女の過去を知りたい。牧野サンの気持ちを、知りたい。
ないものねだりのわがまま坊主。
てめえのわがままさに腹立てて、他人に八つ当たりするなんて・・・俺、最低だ。


「・・・ごめん」


 くるりと向きを変えて、早足に歩き出した。


「草のく・・・」

「1人にしてくれ」


 ユカの呼びかけを無理やり遮って、家路を急ぐ。情けなくて涙が出そうだ。
俯いていたらアスファルトに小さなしみをいくつも作ってしまいそうだったから、大きく鼻をすすって空を見上げた。
どんよりとした雲の間から、ほんの少しだけ。赤くなりかけた太陽が顔を出した。


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                                          BGM♪bump of chicken:ベル