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「昨日ね、とーっても幸せだったの」


 授業と授業の間の短い休み。

腹が減って仕方なくて、行きがけにコンビニで買ったパンにかじりつこうと大きな口をあけた瞬間、

いつのまにか隣の席に座っていたショコが言った。


「・・・は?」


 何のことだかさっぱりわからなくて、大口開けたままぼんやり。

口から出た声も、どこか気が抜けて間抜けだ。

だけどショコはそんな俺にはお構いなし。職員室で田村がどーとかこーとか話し出して。

それで合点がいった。昨日の出来事ね、あの進路希望調査のやつ。



「崎山先生に提出して帰ろうとしたら、進路主任が運悪く出てきちゃってさ、2人並んで延々お説教。
 並んでだよ?な・ら・ん・で」


 俺があっけに取られてること、ぜんぜん気付いてない。

やれやれ。なぜそんなことでここまで盛り上がれるのだろうか。

俺、パン食べたいんだけどな。

はいはいって生返事してパンにかじりついたら、横からすっと取り上げられた。



「ちょっと、あたしの話ちゃんと聞いてる?」

「聞いてる聞いてる。ってか、なんで俺に言うわけ?」



 他の奴らに言えばいいじゃん・・・って教室見渡したら、

テツヤに付きまとわれてうんざりした表情を浮かべるユカと、田村と楽しそうに話をする牧野サンの姿を発見した。

あ、ちょっとジェラシー。田村ってば、なんでいつも楽しそうに牧野サンと話してるかなー。



「あーあ、見苦しい見苦しい。男のやきもちって嫌だよねー」


 わざとらしくそっぽを向くショコをちょっと睨んだ。ほっとけよ。どうせやきもち焼いてるよ。

しかしこいつもアレだよな。知ってんだったら最初から言えばいいのにさ。

知らないふりしちゃってさ・・・なんて悪態ついてみたりして。



「ショコはああやって奴が他の女の子と話してるの見ても、なんとも思わないの?」


 さすがに『牧野サンと田村』って名前を口に出すのは憚られた。

休み時間の教室、クラスメイトはわんさかいるのだから。

でも、普通はちょっと気になったりするんじゃないの?だって、好きな男が他の女と話しちゃってるわけだよ?

俺なんか、相手が田村で、牧野サンとはどうにもならないってわかってても、心穏やかになれないのに。



「それは相手によるよ。今はぜんぜん平気だけど――そりゃ、混ぜてもらいたいな・・・なんてちょっと思うけどね」

「・・・確かにな」



 できることなら俺も2人の間に入りたいと思う。そういえば、昨日の帰り道で田村にちくっと言われたっけ。

『くだらないやきもち焼くくらいなら、間に入ってこればいいだろ?』って。

話してる内容は他愛のないこと――勉強のこととか、テレビのこととか――だから、

気兼ねする必要なんてぜんぜんないって。

そりゃね、田村に気兼ねすることなんてないけどさ、ほら、アレだ。勇気がいるのよ、人の輪に入るのって。



「・・・試験終わったら、夏休み始まるんだよな・・・」


 昨日の田村との話の中で、やっぱり進路のことになって。

夏休みどうするかって相談――もちろん、遊ぶ相談である――してたこと思い出したら、

無意識のうちに呟いてた。

間違いなく予備校に通わされる長期休暇で、いかにして暇を見つけ、遊び、

ストレスを発散させるかというのが目下の悩みである。

田村とああでもない、こうでもない・・・なんていろいろ話し合ったけどさ、

時間は見つけられても、それをうまく有効活用できるか・・・といえばまだまだ人生経験の浅い俺たち。


「牧野サンと、一回くらいどこか出掛けたいよな・・・」


 なんて心の叫びが、知らず知らずのうちに口からこぼれていた。

本当に小さな声のはずだったんだけど、ショコの耳にはしっかり届いてたみたいだ。

一瞬目をぱちくりさせて、『たまにはいい事言うね!』と俺の肩を思いっきり叩いた。

バシッていう大きな音が教室に響いて、教室にいる奴らが注目する。

正直言ってちょっと恥ずかしかった。

例にも漏れず俺らを見た牧野サンと偶然目が合って、思わず微笑みながら手を振る。

そうしたら彼女も笑ってくれて。あ、ちょっと幸せかも。

隣にいる田村に視線をずらしたら、『バカ』って声に出さず、口だけで言った。


「みんなで行こうよ、花火、花火!!」


 すっごくいい計画じゃない?と1人で浮かれるショコに唖然とする。

一体何をそんなにはしゃいでいるのだ。

花火?みんなで海でも行くのか?海で線香花火大会か?合点がいかないのが、表情からわかったんだろうね。



「花火って言ったら、大濠の花火大会に決まってるでしょ?!」


 と、きつく言われた。ああはいはい、わかりましたよ。

ここんとこてんでご無沙汰だったんで、すっかり忘れてました。

高校入ってから行ってないもんね、彼女いなかったから・・・

というのは嘘で、夏休みはほとんどスタジオに入ってギター弾きまくってた。

でも花火か・・・花火もいいかもね。

浴衣姿の牧野サンと並んで花火見上げて、『綺麗・・・』って目を潤ませる彼女に『君も綺麗だよ』なんて

言っちゃったりして・・・って俺また妄想はいってるよ!ダメだって!バカだって!!



「はぁ・・・・」


 自分の馬鹿さ加減に思わずため息。

そしたらそれを見たショコが勘違いしたのかね、『ダメなの?』ってちょっと残念そうに言った。

いや、花火大会の計画が・・・ってわけじゃなくてさ、だめなのはね、ほら、俺の妄想癖なわけよ。


「いや、いいと思うけど・・・」


 同意を表した瞬間、ショコの表情ががらりと変わる。うーん、百面相ですか?ある意味尊敬しちゃうね。


「じゃ、田村くん誘うのは任せたからね。あたしたちはちゃんとつくし誘うから」

「・・・あたし、達?」

 一体何人で行くつもりなのだ、ショコは。

あんな混雑する花火大会、大人数で行こうというのは間違っている気がするが・・・



「あたしたちと、つくしと田村くん。もちろんユカも誘わなきゃでしょ?で、ユカが行くなら三輪くんも一緒じゃなきゃ」



 三輪、とはテツヤのことである。

6人で団体行動する様を想像――ここは想像でいいのだ――して、はぐれる確立が100%だと確信した。

まずテツヤ。ユカと出掛けられることであいつが浮かれはじけないわけがない。

ぼんやりした頭で1人別の方向に歩いていくことくらい、容易に想像できる。そしてユカがそれを追いかけて。

俺は牧野サンの浴衣姿――着てくるかどうかはわからないけれど――に鼻の下伸ばして、

妄想膨らませて置いてけぼりくらうんだろう。

あきれた田村が俺を探しに来ることは必須だから、結局ショコと田村が一緒にいれる時間なんてないじゃん。

牧野サンと俺もしかり。




 でも、こんなこと言ったら、絶対にショコに殴られると思ったから黙っておいた。

『わかった』と軽くうなずくと同時に、授業開始のチャイムが鳴った。

















「まっきのサン」


 昼休み。

例に漏れずイチゴミルクを買いに来た俺は、運良く牧野サンの後姿を発見。

すかさず声をかけた。くるりと振り返って微笑む彼女はそれはもうかわいくて・・・

鼻の下伸ばさないようにするのが精一杯だったよ、おじさんは。





     


「あ、草野くんだ」




 購買の帰り?と聞く彼女の手中にも、しっかり紙パックが握られていて。

何買ったの?と聞くと、俺の目の前に差し出して見せた。


「・・・ちょっと意外」


 野菜ジュースのパッケージ。牧野サンって、こんなの飲むんだ・・・


「案外おいしいんだよ?草野くんもたまには他のもの飲んでみたら?」


 イチゴミルクばっかりじゃ、飽きない?と笑う彼女に、全然・・・と答える。

基本的に甘党なのだ。でも、酒もかなりいける・・・はずである。いや、大声じゃ言えないけどさ。


「そういえば、城南祭のステージすごくかっこ良かったよ。出来上がった写真見て、改めてそう思っちゃった」


 草野くんが作ったっていう『野球狂の歌』、みんなで手拍子してたの知ってる?と、無邪気に笑う牧野サン。

その笑顔を見て、急に胸が締め付けられた。

思い出しちゃったよ、ハルジオンの涙。

眉間にきゅっとしわを寄せて、苦しそうに顔を歪ませて。

そうだ、その表情見て、俺動揺した。その涙見て、自分の気持ちを自覚した。

だから、彼女の涙は俺に無関係・・・にはしたくない。


「・・・ねえ、ひとつ聞いていい?」

「ひとつじゃなくて、たくさん聞いていいよ」

「・・・どうして、ハルジオンを選んだの?」

 さすがに涙の理由は聞けなかった――俺が踏み込んじゃいけない領域だと思ったんだ――から、

せめて選曲の理由だけでも知りたかった。

でも、言葉に出してすっげー後悔した。

今まで笑っていた牧野サンの表情が瞬時に固まった。

笑顔はすっかり消え、目の奥がかすかに揺れて。


「あ・・・ご、ごめん。俺変なこと聞いちゃったよね・・・ほんとごめん。今の言葉忘れて・・・」


 顔の前で両手をぶんぶんと振った。

慌ててた俺の動作がこっけいだったのか、少しだけ口元を歪ませたけど、目は真面目だった。

こういう表情のほうがやばいんだよ。

思いっきり泣いてるとか、思いっきり辛そうな顔してるほうが、まだましだ。

辛いこと耐えてる顔見るのって、とっても辛い。


「ほんと、気にしないでよ。ちょっと気になっただけだからさ・・・」


 すっげー自己嫌悪と罪悪感。心がものすごく痛い。


「・・・・ハルジオンをリクエストした理由はね・・・」


 小さな声で呟いて、歩き出した。俺も慌てて後を追う。その後少し間が空いて。

答えをせかすのは間違いだから、その痛い沈黙を甘んじて享受する。

やがて教室へと到着。

扉を開けて中へ入る瞬間、彼女は振り返り、妙にはっきりした声で言った。






「嫌いな曲だから」














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                                       BGM:スピッツ♪海を見に行こう