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 非常に困った、ような気がする。気がするだけであって、実際に困ったことが起こってるわけじゃないけど。情のない親友、田村に見捨てられた終業式の日、1人淋しく帰途に就いた俺は、冷血漢極まりない親友の遺言、と言うか命令、というか助言通り、2件のファストフード店にチキンの予約電話をした。ちょっとした嫌がらせも込めて、予約の名前は両方とも『田村』にした。こんなことしても、代金はきっちり半分取られるだろうけど・・・って、今思い出したよ。俺、未だにjupiterのスコア代払ってないや。もう半年以上経つや。・・・そろそろ、田村くんスコアのこと忘れてくれないかなー・・・なんて虫のいいこと考えちゃったりして。と、まあそれはいい。まあ、とにかくクリスマスパーティーの準備は万全なわけだけど。


「・・・・」


 当日。お迎えの11時より少し早く牧野家、というか牧野サンのアパートに着いた俺は、その重大な事実に気付いて呆然としてしまった。牧野サンの部屋、すなわち亜門の部屋の隣。『亜門ときちんと話すこと』っていう坂口さんとの約束を忘れていたわけではない。けど、まだ実行していなかったりする。坂口さんがいる店に行くのも憚られた――だって、亜門とのやり取りを聞いて笑われるような気がするから――し、道を歩いていればばったり亜門とすれ違うなんていうミラクルが起こるわけでもないし、この部屋を訪ねるタイミングも難しいし。坂口さんは『自分の思ったことを伝えればいい』って言っていたけど、自分の思ったことって一体何だろう。この間言われたことに対する正か誤か、っていうことだろうか。単純に考えて、俺が悪いか悪くないか、と考えれば、悪くないという答えが出る。けれど、それには明確な理由があるわけでもなければ、第三者の意見を参考に導いた答えでもない。故に、そんなこと言えない。自信がないから。

 牧野サンと亜門の部屋の境目に立ち、どちらのインターホンを押そうか悩む。牧野サンのそれを押すのはとても楽だ。けど、それって人としてすごく間違っているし、取り返しがつかなくなるような気がする。後悔もしそうだ。かといって、亜門のそれを押して、頭の良い悪魔みたいな奴と押し問答をするような勇気があるわけでもなく・・・ついでに、その押し問答に勝つ自身もない。

 腕を組んで、頭から煙が出るほど悩んだ。残された時間は短い。けれど、今ならどっちのインターホンでも押せる。うーん・・・と唸って、無い知恵絞って色々シミュレーションしていると。


「・・・お前、人んちの前で何してんだよ・・・」

     

 ガチャリ、と扉が開く音がして、顔を覗かせたのは・・・亜門だ。予想もしていなかったこのアクシデントに肩をびくつかせて、思わず回れ右。そのまま行進のように歩き出そうとしたけど・・・


「・・・人の顔見て逃げるなんて、失礼にも程があるだろ・・・」


 ぐるぐるに巻いたシマシママフラーをぎゅっと掴まれてしまった。それすら予想もしなかった俺の喉から、アヒルが押しつぶされたような声が出る。恐る恐る振り返ると、亜門の額には青筋が浮かんでいた。


「・・・ほ、本日はお日柄も良く・・・」


 チャオ、というように軽く右手を上げて笑ってみる。けど、顔は絶対に引きつってる。だって口元の筋肉がぴくぴくしてるのがわかるもん。


「確かに天気は良いよな、クリスマスパーティー日和ってやつだ。日頃の鬱憤を晴らそう、っていう受験生にはもってこいの日だな。つかお前、坂口から聞いたぞ。俺が休んでるのを牧野に聞いて、店に行ったそうじゃないか」

「え・・・別に亜門がいるとかいないとか、そういうのは関係ないっていうか・・・純粋にあの店に行きたくなったから、直井を誘って行ったら偶然、ホントに偶然亜門さんがいなかったっていうか・・・」

「嘘つけ。言い訳の続きは部屋で聞いてやるよ。おら入れ」


 マフラーをぐっとひきつけられて、そのままドアの中へ引き込まれる。『人攫いーっ!』と叫ぼうと思ったけれど、それはあまりにも人聞きが悪いのでやめた。バタン・・・とドアが閉じ、亜門が鍵をかける・・・って、ちょっと待ってよ。そういうことされると、マジで怖いんですけど・・・ここで足掻いても仕方がないので、スニーカーを脱いで奥へ行き、ダイニングチェアの上にちょこんと正座。亜門は自分のケータイを取り出して電話をかける。誰にかけてんだよ・・・と思ったけど。


「マサムネ、俺の部屋にいるから。支度できたら迎えに来い」


 どうやら、というか絶対に牧野サンだ。何、その不自然すぎるくらいに素晴らしい手回し。これじゃ俺、逃げられないじゃん。ピ・・・と電話を切ると、くるりと振り返って俺を見る。低い声で『さて・・・』と言いながら。その顔を見た瞬間、嫌な寒さが背筋を襲う。ここ最近、同じような間隔を感じたような感じなかったような。思わず背筋をぴんと伸ばして身構えた。


「・・・取って食ったりしないぞ」

「それに近いことはされると思う」

「・・・まあ、間違いじゃないな」

「・・・やっぱり」


 これも、最近交わした会話によく似ている、ような気がする。全く・・・なんでこんな変なところで似てるんだよ、亜門と坂口さんは。はぁぁ・・・とわざとらしく大きな溜め息を吐くと、目の前にマグカップが置かれた。溜め息吐くと幸せが逃げるぞ、とカップを置いた亜門が言う。


「これ、何?」

「ミルクたっぷりカフェオレ。ついでに砂糖も。お子ちゃまにはちょうどいい」

「お子ちゃまって・・・バカにしてるように聞こえるんですけど」

「ちょっとした冗談だ。他意はない」

「そんな・・・」

「牛乳、賞味期限ぎりぎりなんだ。捨てるのももったいないから飲め。ちなみに砂糖は入ってない」

「・・・・」


 相変わらず、見事な俺捌きですね。全然相手にされてないっていうか、見事に踊らされてるっていうか。『亜門と話す』を選んだ自分を後悔するよ・・・って、俺拉致られたんだっけ。自分の意思でここに来たんじゃないや、そう言えば。

 いつまでも不貞腐れていても仕方ないので、いただきます・・・と目の前のマグカップに口をつける。あまりにも素早く出てきたから、冷たいのかぬるいのかなんだろうな・・・と思ったけど、それは予想外にきちんと温かかった。それも電子レンジで暖めたような嫌な熱さじゃない。予想外といえば、どうして亜門はあんなにタイミングよく部屋から出てきたんだろう。


「・・・どうして熱い飲み物がちゃんと出てきたのか・・・?って思ってんのか?」

「・・・それから、どうしてあのタイミングでドアを開けたのか・・・?とも思ってる」


 自分のマグカップ――中身はブラックコーヒーのようだ――に口をつけながら、正面に座る亜門が笑う。俺は正座を崩して答えた。カフェオレと正座って、何ともしっくりこないような気がしたから。


「そりゃ、お前。誰だってわかるぞ、部屋にいた牧野だって多分気付いてる。あれだけ大きな声で鼻歌歌いながらここまで来て、その上ドアの前に立って『あっ!』って怒鳴れば。ある意味近所迷惑だぞ、あれは」

「・・・マジで?」


 俺、全然気付かなかった。そんなに大きな声で歌ってたっけ?っていうか、そもそも鼻歌なんて歌ってたっけ?しかも、部屋の前で大きな声出したっけ?確かに、牧野サンの隣は亜門って気付いて、どうしよう!とは思ったけど。俺ってすげー恥ずかしい子じゃん・・・なんて、自己嫌悪の坩堝にはまりそうになったけど。


「嘘」


 亜門があまりにもしれっと言うから。思わず口に含んだカフェオレを吐き出しそうになった。嘘って、嘘って・・・


「牧野から聞いたんだよ。お前が11時に迎えに来るって。だからそろそろかな・・・と思って。牛乳温めてたら、ドアの向こうに気配感じたから。開けたらお前が立ってた。意外に驚いたよ、流石の俺も」

「・・・・」


 時々、亜門を構成してるものって全部『嘘』じゃないかと思う。もしくは『意地悪』。そんなこと考えながらプイ、とそっぽを向いたけど。


「まあ、ここでせっかく会えたわけだし、あの日店を飛び出した理由とか、今までここにも店にも寄りつかなかった理由、教えてもらいましょうかね・・・」


 意外にドスのきいた亜門の声。背中から嫌な汗が伝わった。



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BGM♪アジカン:ループ&ループ