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「・・・狙って来たでしょ?マサムネくん」

「・・・そんなことないです」


 午後6時半。Bijouのカウンターに座る俺と直井の前に、コトリ・・・とグラスが置かれる。もちろん中身はノンアルコールだけど。

 昼休み、教室へ戻るや否や、直井を探し出し、その肩を叩きながら『やっぱり不義理はいけないよな、してもらったことの御礼はちゃんと言わなきゃ・・・』と言い、一緒にここを訪れた。理由はもちろん、亜門がいないから。

 もしかしたら、店長体調不良につき臨時休業かもしれない、とも考えたんだけど、メニューを限定すれば坂口さん1人でもなんとかなっちゃうんじゃないかな・・・という淡い期待もあって。そしたら案の定だった。流石坂口さん。やっぱり仕事ができる男は違う。


「でも意外だなぁ・・・亜門っちが風邪引くなんて」


 直井がコーラを仰ぎながら呟いた。しかし『亜門っち』って・・・あの顔とその名前は、すごく不釣合いのような気がするんですけど。そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、直井は『亜門っち』を連発する。だからやめれって。背中がかゆくなる。


「で、今日ここへ来た理由は?」

「模試の報告でーす」


 直井はヒップバッグからくしゃくしゃに丸めたA3サイズの紙を取り出す。ってか、何でそんなにくしゃくしゃになるのよ、模試の結果が。


「草野から聞いてると思うけど、英語は遅刻して散々でした・・・・っが!坂口さんに教えてもらった数学はね、意外に良かったんですよ。ほら、ほら」


 得意げに広げる直井の成績表をちらりと盗み見。・・・へえ、直井にしては頑張ったんだ。つか、驚いた。書いてある志望校。直井の・・・っていうよりも、むしろあやのちゃんの志望校なんだけど。京都(の)大学とか、神戸(の)大学とか、第三志望で、ようやくわれらが田村君と同じ九大。もちろん、直井の判定はまるっとさらっと全部『E』。あやのちゃんには、一体どんな判定がついたんだろう。


「教えたことは出来た・・・って感じかな?よく頑張ったね」

「ありがとうございます!」


 直井は嬉しそう・・・っつか、得意げに笑ってるけどさ、お前ちゃんとわかってる?それでも判定はEだったって事。しかも、自分の行きたい大学はひとつも書いてないんだから。直井にばれないように小さく息を吐いた。ら。坂口さんとばっちり目が合った。坂口さんは少しだけ目を細めると、俺に向かって右手を差し出す。・・・はいはい、わかってますって。俺のも見せろ、ってことでしょ。ジーンズのポケットから八つ折――もちろん、直井みたいにくしゃくしゃに丸めたりしない――にした結果を取り出し、坂口さんの手に乗せる。それを広げてじっくり眺めた坂口さんは、さっきと同じように少しだけ目を細めて、はい、と俺に返した。


「頑張ったんだね」

「・・・まあ、それなりに」


 いつまで経っても慣れないな、この穏やかな優しさ。嬉しいんだけど、ちょっと恥ずかしいっていうか、俺っぽくないっていうか・・・ほら、俺って長男だから、どちらかというと褒められ人生じゃなくて怒られ人生だったっていうか。


「志望校も、Aついてるし」

「でもそれは行きたいとこじゃないし・・・」

「お前贅沢言うなよー。入れる大学があるだけいいじゃないか」


 会話に割り込む直井が、俺の肩をばしりと叩いた。いやいや、お前だってあったかもしれないだろ。あやのちゃんに全部合わせちゃって、あえて自分の志望校書かなかったのお前だし・・・と突っ込もうとしたら、直井のケータイが派手な音を立てて鳴り始めた。パーカーのポケットからそれを取り出して、嬉しそうににやりと笑う。


「・・・あやのっちだぁ♪」


 ちょっと失礼、とおどけて言いながら、ステップ踏んでトイレに向かう。そっちかよ・・・と思ったけれど、直井の選択は正解だ。外はまずい。流石に、俺らがこの店の外で電話してたらおかしなことになりかねないな。崎やんもここの常連みたいだし。すれ違わないとは言えないし。パタン・・・と木製のドアが閉まったところで、坂口さんが口を開いた。さて・・・と。それはさっきまでの穏やかなものとは少しだけ違って。思わず背筋を伸ばして身構える。それを見て、坂口さんは苦笑した。


「取って食ったりしないから」

「・・・近いことはされるような気がする」

「あながち間違いじゃないね」

「やっぱり・・・」


 坂口さんは優しいけど、優しいだけじゃない。直井の電話が鳴ったとき、いやな予感がしたんだよ。もしかしたらもしかして、直井がどっか行っちゃったりして2人だけになったら、亜門のことで何か言われるかもしれないって。こんな時までいやな予感ほどよく当たる。たまには外れろっての。すっと目を逸らして、コーラのストローを咥える。さて、どうやって攻撃をかわそうか。


「やっぱりさ、今日のことは良くないと思うよ?」

「・・・」

「亜門さんに世話になってることには変わりないんだしさ、筋は通した方が良いんじゃない?」

「・・・・・」

「そりゃ、それがとっても難しいことはよくわかるよ。俺がマサムネくんの立場でも、同じことしたと思う。でも、それが良いことじゃないってちゃんと気づいてるよね?マサムネくん、馬鹿じゃないしとっても優しいし」

「・・・・・・・」

「それとも、俺が見てるマサムネくんってうわべだけのものだった?本当は、そんなことも分からないような子だった?」

「・・・坂口さん、それって絶対反則・・・」


 降参、というように両手を軽く挙げる。ホントに降参。こんな風に諭されたら、反発なんてできるわけ無いじゃん。ってか、ここで反発したら、これこそ俺がただの馬鹿だって証明するようなものじゃん。やっぱり坂口さんは意地悪だ。意地悪だけど・・・


「・・・何て言ったらいいと思う?」


 コーラをテーブルに置いて、俯きながらそう尋ねる。坂口さんの顔を正面から見て尋ねる勇気はないけど・・・俺、やっぱりバカだから1人じゃ答えを見つけられない。正直、今だって亜門に報告なんて絶対嫌だって思ってる。けどやっぱりそれは間違ってるっていうのも分かるし。


「それは、マサムネくんの思うとおりに言えばいいよ」


 ちらりと坂口さんを盗み見ると、さっきと同じように苦笑しながら、グラスにコーラを注いでくれた。シュワシュワと炭酸が弾ける音が耳に届く。この音はいつ聞いても好きだ。坂口さんは言う。『俺の思うとおり』って。俺の思うこと。俺が思うこと。


「・・・なんか、逆にケンカ売って終わるような気がするんですけど」

「それが思うことならいいんじゃない?自分が間違ってると思わないんだったらそれで良いし。亜門さんが間違ってるって思うなら、それをぶつければいい」

「でも、坂口さんは亜門が間違ってるって思ってないんでしょ?」

「さあ・・・俺も全部知ってるわけじゃないし。それは亜門さんとマサムネくんの間の問題だしね」

「・・・冷たいね」

「干渉するのが優しいんじゃないよ」


 大人になるっていうのは、簡単なようで案外難しいんだよ?と坂口さんが言うと、木製のドアがガチャリと開く音がした。ドアが開けばもちろん誰かが出てくるわけで。その『誰かさん』は思いっきりやに下がった顔で、ケータイにキスしんばかりの勢いだった。


「もうあやのっち大好き。何であんなにかわいいのかなぁ・・・俺、どうにかなっちゃいそう」
「・・・どうにかなればいいよ」


 隣に腰掛ける直井に聞こえないよう、ポツリと呟く。けれど坂口さんには聞こえてたみたい。全く、この人にはどうやったって敵わない。もしかしたら、亜門よりも手ごわいかもしれない。亜門、亜門。やっぱり、亜門に報告しなきゃいけないんだろうか・・・・。


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