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「・・・あの」

「ん?」

「今、言ったよね。『本題に入る』って」

「言ったよ?」

「なのに、最初から嘘?」


 店を飛び出すまでの会話は、悲しいかな全部聞こえていた。その言葉の中に『追いかけろ』なんて、しかもそれが亜門の声で、なんて全く記憶にないんですけど。俺の記憶では、それは冷たく『放っておけ』って言い放ったことしかない。ついでに、坂口さんが『放っておけませんよ』って言ったことと。

 からかうのもいい加減にしてくださいよ、と言うと、坂口さんは苦笑しながらああ・・・と言った。


「亜門さんねー・・・あの人ほど、口と目で言うことが違う人はいないから。流石のマサムネくんも、店を出て行くときの亜門さんの顔まで見なかったでしょ?」

「・・・」


 素直に頷くと、こういうときは素直なんだね、と笑う。俺はいつでも素直だよ!と反論しようとしたけれど、どうせ軽く流されるだけだからやめておいた。代わりに、クッキーの最後のひとかけらを口の中へ放り込む。しっとりとして適度に歯ごたえのあるこのクッキーは、噛めば噛むほど口の中に甘さが広がる。時々当たるマカダミアナッツの硬さが、クッキーとは違ってまた良い。すごく美味いとは思うけど・・・もしかしたら、もう食べられない代物かもしれない。少なくとも、彼女とここに来れるくらいのお金――それほど大きくないのに130円もするのだ。だったらコンビニでポテトチップを買った方がいい――が手に入るまでは。


「すごく心配そうな目をしてたよ」

「でも、辛辣なこと言われた」

「そりゃ。あの人優しくないから」


 わかりきったこと言っちゃダメだよ・・・と、からからと笑い飛ばす。・・・って坂口さん、仮にも自分の上司・・・っつか、雇い主をそんな風に言うなんて。その意外すぎる言葉に思わず噴き出した。口の中に何も入っていなくて、本当に良かったと思う。さっき食べてたクッキーがまだ残ってたら・・・坂口さんの顔面直撃は、免れなかったはず。


「マサムネくんの言うとおり、言葉は辛辣だし、気持ちを表面に出さないから何考えてるかわからないし、誰に対しても一線引いてて、それを越えようとする人は容赦なく跳ね除けるし。それがたとえお客さまでも」

「・・・」

「それにね、結構人使いも荒いんだよ。3回教えても覚えない事は二度とやらせてもらえないし。同じこと3回以上聞くと無視するし。亜門さんのそういう態度が嫌でバイトやめた人たち、何人も見てきたからね。この数ヶ月間で」

「坂口さん・・・・」


 それ、言いすぎじゃないですか?仮にも自分の上司・・・というか、自分を雇ってくれてる人でしょう。流石の俺だって、そこまで悪く言えないよ。相手は連続殺人犯とか、連続詐欺師とか、そういう極悪人じゃないんだから。


「でもね、そんな亜門さんでも、俺は大好きだと思うし、心の底から尊敬できる人だと思ってる」

「・・・」

「世の中には、目に見えるものと見えないものの2つしかないんだけど、大半の人は、『目に見えるもの』しか信じてないと思うんだよね。でも、それは絶対に違うし、いけないことだと思う。目に見えないからこそ、信じなきゃいけないものもあるんじゃないかな?」


 この意味、わかる?と、坂口さんが言った。その言葉の意味をよく考えてみる。目に見えるもの。亜門の意地悪なところ。平気で人の悪口言うところ。目に見えないもの、それは・・・


「・・・亜門が、ほんとは俺を心配してくれてること」


 ひとつはそうだね、と坂口さんが頷く。謎かけが解けたことにほっとするけど・・・坂口さんの『ひとつは』という言葉がとても気になった。つまり、目に見えないものは他にもあるってこと?


「・・・・」


 さらに考える。けれど・・・答えは、見えない。正直に言うと、亜門が何故、俺を心配しているのかもよくわからないんだ。受験のこと?でも、それだけじゃないような気もする。牧野サンとのこと?でも、今は良い関係だと思うし、なおさら心配される理由がない。坂口さんが俺をからかっているだけなのか、それとも、本当に俺がわかっていないのか・・・

 じっと俺の顔を見ていた坂口さんが、不意に苦笑した。


「・・・何すか?」

「いや、マサムネくんが真剣に悩む顔って面白いな・・・と思って。眉間に3本皺入っちゃってるし・・・」


 そんなに顔しかめてたら、大人になってすごいことになるよ・・・と、今度は声を出して笑った。・・・何?今、ものすごくまじめな話をしていたような気がするんですが。


「ま、そんなに焦ってわかろうとする必要もないけどね、亜門さんのこと。俺だって、あの人のこと全部理解してるわけじゃないし、理解できてないから、今日も声荒らげちゃったりしたし。亜門さんの視線だけを信じて、マサムネくんのこと追いかけてきちゃったし」

「・・・大丈夫?店」

「大丈夫。亜門さんは大人だし、俺もマサムネくんよりは大人だと思うから」


 だてに3年長く生きてるわけじゃないしね、と言うその顔は、俺よりもずっとずっと大人だった。あと3年、たったそれだけの短い期間で、俺は坂口さんに追いつけるんだろうか。追いつくことができたら、今日のことも、理解できるようになるんだろうか。亜門が俺をガキだと言った理由も、牧野サンを引き止めると言った理由も。


「さて・・・そろそろ帰った方がいいかな。俺もマサムネくんも」

「・・・そだね」


 トレーを持って立ち上がろうとして。そこで意外な人物を発見。思わずそのまま着席してしまう。相手も俺を見て驚いたらしく。ただでさえ大きな目をさらに丸くして『何してんの?』と言った。


「いや・・・ちょっと、お茶を・・・ってか、ユカは何を・・・」







 ・・・言いかけて、息を呑んだ。っつか、やばくない?ユカは俺を見た後、同席してた坂口さんを見て・・・そのまま、ぴたりと動きを止めてしまったのだ。


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BGM♪BUMP OF CHICKEN:カルマ