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 コーラでベタベタする手を丹念に洗いながら、亜門の言葉を反芻する。牧野サンの言葉が意外だった?つまり、牧野サンは東京に戻るって思ってたって事なのか?俺にはその考えのほうが意外だったよ。辛い思いをして逃げ出した場所に、戻りたいなんて思うわけないじゃんか、普通に考えたら。それなのに、どうして亜門はそうは思わないんだ?

 ハンドソープをしっかりと水で洗い流し、エアータオルで手を入念に乾かしてから外へ出ると、亜門が長かったな、と意地悪そうに笑った。普段の俺なら『ほっとけよ』とか言っていじられキャラに徹するけど、今日はそういうわけにはいかない、ような気がする。さっきまでいたカウンター席に座り、たたずまいを整え――といっても、せいぜい背筋を伸ばすくらいなんだけど――納得いかないんだけど、と亜門を睨む。言ってみれば宣戦布告だ。


「・・・何が」

「さっきの言葉が。九州で進学するのが意外だったってやつ」

「・・・何で?」

「東京が嫌でこっちに来たんだから、わざわざ辛い思いして戻ることないじゃん」


牧野サンは東京での事はもう吹っ切ったって言ってるんだし、新しい気持ちで新しい生活を始めるとも言ってるんだ。半年以上かけて。ようやく自分の気持ちが整理できたのに。悩んで出した答えを『意外』だなんて簡単に言うなよ・・・というような事を言いたかったんだけど、上手く言葉にできない。


「俺はただ『意外だった』って言っただけで、その答えが駄目だなんて一言も言ってないぞ。おまえが勝手に勘違いしただけだろ」


変な奴だな・・・と、俺を怪訝そうに見る。変な奴とはまたまた心外だ。亜門に変人扱いされる謂われはないぞ。こいつをいい奴だ、なんて思ってた最近の俺はバカだ。やっぱり最初の印象通り、嫌な奴に違いない。ふんっとそっぽを向きながら、残ったコーラをゴクリと飲み干す。牧野サン、ハナザワルイからだけじゃなくて亜門からも逃げちゃえばいいのに。


「・・・お前、今何て言った?」

「・・・え?」


ふとカウンターの中を見ると、心底驚いた、というような表情の亜門と目が合う。珍しい、いつも余裕釈釈で、『驚愕』って言葉とは無縁そうな顔してるのに。

  

「俺、何か言った?」


今、心の中で毒づいたつもりだったけど、実は口から漏れちゃってたのかな。聞き直すほどの内容じゃないのに。こんな事に目くじら立てて、意外と大人げないなあ・・・と思ったけど。


「どうしてそいつを知ってんだ?」


どうやら、気になったのはもうひとつの事らしい。その物言いは相変わらず上から目線で、ムカつくから教えたくないなあ・・・と思ったけど、口で亜門に勝てるなんて端から思ってないし、隠す意味も理由もない。それでも、当事者がいないところで全てを話しちゃうのはやっぱり良くないかなぁ・・・と思い、要所要所、掻い摘んで説明した。遠足をみんなで回って、パン屋の前で牧野サンが顔色変えて逃げ出したこと。それがどうやら東京の知り合いで、後から聞いてみたら、そいつの名前がハナザワルイと仲間たち――名前、覚えられなかったんだよ、あとの2人は――だったということ。


「へぇ・・・」


 意味深に頷き、俺を見て『昨日の夜、牧野に会ったのか?』と言う。今度は俺が心底驚く番だった。って言っても、いつもびっくりしたり怒ったり悔しがったりで余裕の欠片もない俺だから、亜門のときのようなもの珍しさなんてないんだけど。


「何でわかるの?」

「なんでって、そりゃ・・・・」


 少し考えりゃ分かるだろ、と呆れた声で言った。ついでに、牧野サンがこっちで進学すると言った理由――からくりも解けた、と。何でそんなことまで分かるんだよ、実は探偵だったのか?と間抜けな事――俺からすれば至って真面目だけれど――を聞こうと思ったけど、その場の空気にあまりにも相応しくないので、何とか言葉を飲み込んだ。


「・・・駄目だな。意外だっただけじゃなくて、俺は反対だ。明日にでも牧野と話し合う」

「何を?」

「進路の事」

「何で?!」


 だって、前に言ったじゃないか。牧野サンとは不可侵な部分があるから、そういうことには立ち入らないって。彼女が決めた進路に反対するって、思いっきり踏み込んでると思うんですけど?


「何でって・・・反対だからに決まってるじゃないか」

「だって、さっきはそんなこと言ってなかったじゃん」

「牧野がこっちに残る理由が分かってなかったから。それが分かった以上、止めるのが『責任者』ってもんだろ」

「っていうか、話が全く見えないんですけど・・・牧野サンがこっちで進学するって決めた理由って、東京のこととかドウミョウジのことが吹っ切れたからだろ?それっていいことじゃん。前に進んでる証拠じゃん」

「俺は、牧野がこっちに残ることを推奨するお前がわかんねえよ。こっちで進学するよりも、東京に戻ったほうがお前にも好都合だろ。向こうの美大に行きたいんだったら尚更じゃないのか?」

「それとこれとは話が違う!俺は大学生になった自分が、悲しい思いをしてるかも知れない牧野サンと東京で出会うよりも、幸せな気持ちで福岡の大学に通う牧野サンを想像するほうがいいんだよ。彼女が『幸せだ』って思うことが、俺にとっても大事なの!」

「・・・何だよ、その『君が幸せなら僕はそれでいい』っていう犠牲精神の愛みたいなやつ。お前、それ本気で言ってんのか?」

「本気じゃなかったら、こんな恥ずかしいこと言うわけないだろ」

「じゃあ、言い方変える。お前、牧野が福岡に残ることが、本当に『幸せ』だと思うのか?」

「・・・思ってなきゃ、そんなこと言えないだろ」

「・・・ガキ。お前もう少し良い男だと思ってたけど、俺の見込み違いだったみたいだな」

      

 亜門はふぅ・・・と息をつくと、吐き捨てるようにそう言った。あまりにも予想外なその言葉を、俺は理解することができなくて。暫くの間、亜門の声が頭の中をぐるぐると回り続けた・・・・・



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