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「・・・・・・・」


 沈みゆく夕日を見ながら、何度目かのため息。

そういえば、ため息つくと口から幸せが逃げるんだよね。

でも、そんなこと気にしてられなくて。

今は幸せ逃げてもいいから、ため息つかせてよ・・・そんな気持ちだ。








 フェンス乗り越えてプールサイドに座って。もうどれくらいの時間が経ったんだろう。

今は後夜祭の準備時間?遠い教室棟の方から、いろんな声が聞こえる。

『これ、どこに持って行けばいいの?』

『これ捨てていいのか?』

そうだよな、クラスの模擬店、普通だったら終わって片付けしてる時間で。

クラスの奴ら、どう思ってるだろ?俺がいないこと。


 抱えた膝に額をくっつけて、もう一度大きなため息。

・・・田村に悪いことしたな。ステージ成功させようなって、2人で頑張ってきたのに。


 牧野サンの涙を見て、そのまま固まってしまった俺。

自分が固まってしまったことすら気付かなかった。

頭の中真っ白で、視界は彼女でいっぱいになって。

自分がステージに立ってることも、演奏中だってことも、何もかも忘れた。


 なんで泣くの?どうして笑ってくれないの?この曲を歌うことを望んだのは牧野サンなのに。

牧野サンに喜んでほしくて、リクエストしてもらったのに。


 ぐるぐると渦巻く思考の渦。考えれば考えるほど目の前はくるくる回って。

もうどうしようもなくて、楽器投げて客席に走り出そうとしたとき、不意に現実に引き戻された。

戻してくれたのは、他の何でもない田村の歌声。

ギターの打ち込み音は、俺が足元のアンプについているスイッチを切らなければ消えないから。

ずっとそのまま進んでて。俺の異常に気付いたんだね、後姿しか見えないのに。

ちゃんとしたタイミングで田村は歌を入れてくれて。

めったに聞くことのない奴のそれ。

俺よりクリアで、俺より少し低くて。

ちょっとぎこちない歌声に、体中の力がすーっと抜けていった。

いつのまにか指が止まっていたギター。

急いで構えなおして弦を弾く。

もうチェンジすることはできないから、残りは全部田村が歌った。

演奏してる間、本当に涙がこぼれそうになった。

情けなくて、悔しくて。

なんで俺ってこうなの?牧野サンのこととか、余計なこと考えないで演奏するって決めたのに。

いい調子で演奏してたのに。

ほんの些細な出来事に、我を忘れるほど動揺して。


「・・・ほらよ」


 視界に突然現れた、白くて小さな物体

声のした方を振り返ると、そこには、まだステージ衣装のままの田村がいた。


「・・・サンキュ」


 それを受け取る。

バニラヨーグルトはまだ冷たくて、きっと田村が買いに行ってくれたんだな・・・って。

俺のために。ありがたいけど、後ろめたい。


「・・・クラスの奴らは?」


 いえいえ・・・と言いながら俺の隣に腰を降ろす奴を、横目でちらりと確認する。

俺の失敗に激怒してるかな・・・と思ったけど、案外そうでもなくて。

プールをまっすぐ見つめる田村の横顔は、とても穏やかだ。


「普通に営業してる。おまえに『お疲れ様』って伝えてくれってさ」

「そっか・・・」


 コーラのプルトップに指をかけて、勢いよく缶を開ける。

シュワシュワ・・・って音が俺にまで聞こえて。

俺も一緒に、泡になって消えれたらな・・・って思った。


「・・・悪かったな」


 ヨーグルトを地面に置いて、小さな声で謝った。

何に対して・・・なのか自分でもよくわからないけど。

あまりにも小さすぎて、きっと田村の耳には届かなかっただろうね。


「・・・ま、あれはあれで成功だったんじゃないか?苦情や文句はなかったしさ。
 ステージ見に来てた奴らの話、ちょっとだけ聞いたんだけどさ、
 もともとああいう風に歌うって思ったらしいぜ」


 ああいう風、ハルジオンの途中で、ボーカルをチェンジするってことだよな、多分。

そうか・・・ってため息つきながら言って、少しの沈黙。

田村がどういう風に思ってるかはわからないけど、この沈黙が、少し苦しい。

この場から逃げ出したい気持ちもあったけど、そんなことしたらこの先、こいつの顔見れなくなっちゃうから。


「・・・何が、あったんだ?」


 静かだけれど、強い声。


「・・・何が、あったと思う?」


 答えにならない、俺の言葉。

コーラを一口飲んで、目の前に広がる水面を見つめる田村。

答えを探しているのか、それとも、言葉をさがしているのか。

田村があまりにまっすぐ水面を見るから。

その中に答えがあるんじゃないか・・・って。

俺もじっと見つめた。

時折はじける水泡と同時に、大切なものも破裂しているのかもしれない。

少し、悲しい感じがした。


「・・・俺にわかるのは、ハルジオンの間奏でおまえが急に弾かなくなったことと、
 客席の牧野さんが暗い表情してたことだけ」

「・・・そっか・・・」


 田村もわかったんだね、牧野サンの表情が浮かないこと。田村も見てたんだね、彼女の事。


「・・・勘違いするなよ、おまえが弾かなくなったから、客席見たんだからな、俺」

「・・・・・」


 どう返事をしたらいいのかわからなくて、再び沈黙。どういう意味なんだろう、田村の今の言葉。


「・・・俺、どうして弾けなくなったと思う?」

「・・・おまえじゃないから、わからない」


 はは、やっぱそうだよね。

ステージ前と変わらない田村の返事に、思わず笑った。

ちょっと自嘲も入っていたかもしれない。


「けど・・・」


 ステージ前と違う、田村の言葉。

けど・・・と続けて、うつむいて。

今度はわかる。言葉を捜してるって。

どう言えば俺が傷つかないかって、考えてんだろ?


「俺って、牧野サンの事好きなのかな?」


 単刀直入、直球だよね。田村に投げかけてみた。

そしたらちょっと驚いた顔して、俺を見た。

言おうとしてた言葉と同じだった?聞いたら、ちょっと苦笑して、まあなと言った。


「・・・なんでわかった?」


 自分でもわからなかったのに。

今日のステージの直前でようやく気付いたのに。

それですら、自覚するまでは至らなかったのに。


「なんでだろうな?・・・付き合い長いからかな・・・
 何度かそうかな?そうかな?って思って、今日のステージで確信した」


 だって、牧野さん見て動揺したんだろ?


 田村の言葉に、うなずくことしかできない。

力が抜けていくほど、他のことが何も見えなくなるほど動揺した。

走り出したくなるくらいに我を忘れた。


「・・・好きなのかな、俺」


 ただ、気に入ってるだけだと思ってた。

友達になりたいだけだと思ってた。

一緒に笑えればいいや・・・って、一緒に楽しめればいいって。

なのにどうしてだろう、彼女の笑顔を見ると嬉しくて、胸がいっぱいになる。

彼女の悲しげな表情を見ると、自分まで苦しくなる。

どうにかして、笑顔にしてあげたいと思う。


「・・・人を好きになるって、その人の事考えるだけで楽しくなることだと思ってた。
 でも、俺牧野サンの事考えると、ちょっと辛くなる。それでも、好きだ・・・って言うのかな・・・?」

「・・・枠にうまくはめられるものじゃないからな、人の気持ちなんて」


 なんてえらそうな事言うけど、俺もよくわかんない・・・と、田村が笑った。

確かに、枠になんかはめられない。

彼女の笑顔は見たいけれど、他の奴には見せたくない。

彼女を笑わせたいと思うけど、困らせてもみたい。

完全に逆ベクトルの、矛盾した関係。

180度違う方向に両腕を引っ張られ、身動きできない状態、そんな感じだ。


 やがて校庭から大きな叫び声が聞こえる。

傾いていた夕日はその姿をほとんど消し、代わりに姿を現したのは、数々の煌く星たち。

プールサイドにごろりと横になって、それらをじっと見つめる。

背中から伝わるコンクリートは冷たくて、硬い。


「・・・後夜祭、始まったな」


 俺、店の手伝い行ってくるわ・・・と、田村が立ち上がった。

そうだ、ウチのクラスは、後夜祭時間も営業するんだったな。

俺も行こうか?と身体を起こしかけたけど、来なくていいって田村に止められた。


「お前、今から戻って女装して、笑える自信あるか?」


 そう言われて言葉に詰まる。

それが、俺の答え。

だろ?と笑う奴に、何も言い返すことが出来ない。


「適当に言っといてやるよ。『ステージ頑張りすぎて、知恵熱が出た』ってな。
 客引きなんかしなくたって、来る奴は来るだろうからな」

「知恵熱なんか出すかよ?子供じゃあるまいし」

「お前ならわかんねーぜ?」


 じゃあな・・・と手を振るその姿が完全に闇に溶けると、再びコンクリートに転がった。

校庭の方がほんのり赤いのは、おそらく組み木に火を入れたからだろう。

あの火の回りを、1年生の男子が歌いながら踊る。

俺もやったよ、懐かしい。何故か上半身脱がされてさ。

ふざけるな・・・って思ったこと、不意に脳裏に浮かんだ。


 再び、空を見上げる。

木星が大きく光って、綺麗だなと思った。

この惑星が見えなくなるのももうすぐだ。

7月になれば完全に姿を消し、冬まで見る事ができない。

見えなくなると嫌だな・・・と考えて、ふと思う。


 明日、牧野サンがいなくなるとしたら、俺はどうするんだろう。

あまりに唐突な思いつきで、答えはすぐに出てこないけど、これだけは言える。


 明日牧野サンがいなくなったら、凄く困る。

ない姿を探して、ずっと探して、みんなに聞いて探して、やっぱりいなくて愕然として。

そして俺は困った・・・って言うんだ。

生活が何一つ変わるわけじゃないのに、

牧野サンがいなくなるって、たったそれだけの事で、きっとどうにかなってしまう。


 ほんの些細な事が気持ちを狂わせる。

小さな行動に一喜一憂して、笑顔を見て胸を躍らせ、涙を見て理性を失う。

バックグラウンドをあれこれ詮索して、雑誌の写真に嫉妬して。

これが、人を好きになる・・・ってこと?だったら、俺はこんな気持ちいらなかった。

こんなに苦しい思いをするくらいなら、この気持ちに気付きたくなかった。








 城南祭の夜はふけてゆく。

流れ星が落ちていくように、俺の心の中に落ちてきた小さな思い。

でもその思いは俺にとって大きすぎて。

どうしようもないほどに持て余してしまう。

逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。


 星がきらりと揺らめくたび、『この気持ちが少しでも軽くなりますように』と願った。

笑顔の牧野サンの姿を、正面から見つめられるほどの心の穏やかさが欲しいと、願わずに入られなかった。








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