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「ね、マリのリード持っていい?」

「ん?これ?」


右手にある、古ぼけた青い紐を指差すと、牧野サンは嬉しそうに『そう』と頷く。コレを持ちたいの?犬のリードなんて、持ったところで楽しくも何ともないんだけどないんだけどなあ、いい様に引っ張られるだけだし。なんて思いながらも、輪になった部分を牧野さんの右手に通してから、ギュッと握らせる。


「はい。こいつ、可愛い顔した老犬だけど、意外に力が強いから、引っ張られないように気をつけてね」


牧野さんにそう言って、それからその場にしゃがみ込んで、マリに『突然走り出したりするんじゃないぞ』と言った。マリはわかったのかわかっていないのか、わんわん!と嬉しそうに吠えた。


「あたし、子供の頃からずっと社宅暮らしで、ペット飼った事ないの。だから、家に犬や猫がいる友達がすごく羨ましかったんだ・・・散歩についていって、今日みたいにリード持たせてってよく頼んだの。でも子供だから、そんな些細な事でけんかもしたな。私の犬だからつくしちゃんには持たせてあげない、なんて言われたりして・・・」


普段とは勝手が違うのか、どこか歩きにくそうで緊張した面持ちのマリを従えて5分ほど歩いた頃、牧野サンがぽつりと呟いた。へぇ・・・と頷きながら、俺も同じ事したな、なんてふと思い出す。いつもは散歩なんて面倒なのに、友達――特に犬を飼ってない奴――と一緒に行く時だけは妙に誇らしくなって、自慢げにリード引いて歩いりするんだよな。『この犬、俺の家来なんだぜ!』なんて言いながら。ガキだったとはいえ、何とも情けない。


「久しぶりだよ。こんな風に、誰かについて犬の散歩に行くなんて・・・しかも、リードもって歩くなんて。でも、すんなり持たせてくれたのは草野くんが初めてかも」


にこり、ではなくニヤリとした牧野サンの表情がおかしくて、思わず笑ってしまった。それを見て、牧野サンも同じように笑う。晩秋の夜道を、2人揃って大笑い。ご近所様には迷惑だったかもしれないけど、何だか満ち足りた気分になった。そのまま調子に乗って


「彼氏はどうだったの?大きくて立派な犬とか飼ってそうじゃん」


 などと、余計な事まで口走ってしまった。途端、楽しそうだった牧野サンの顔が曇る。あ・・・また余計な事言っちゃったよ、俺。しまった・・・と瞬時に自己嫌悪。けど、牧野サンはすぐにいつもの表情に戻り、『そうでもないんだよね』と笑った。


「・・・そいえば、あいつの家で犬って見たことないかも。犬だけじゃなくて、猫とか鳥とかウサギとか。熱帯魚は・・・いたかもしれない。動物を可愛がる・・・ってタイプじゃなかったから。むしろ、あいつ自身が大きな犬みたいだったし。住んでたのは大きなお屋敷だったから、きっと番犬なんかはいたんだろうけどね」

「・・・そっか・・・」

「あとね、一緒にペットショップに行ったことがあるんだ。あいつ、小さい犬抱っこしただけで、緊張して妙に固まっちゃって・・・なんか、いつもの自信満々の姿と違って面白かった」

「・・・へぇ」


 その後、犬や猫の話から、今日のテツヤや直井の話――今日の奴らは、ゴシュジンサマについて回るペットそのものだった。シッポをぶんぶん振っているように見えたのは、きっと俺だけじゃないはずだ――や、昼に食べたパンの話なんかで盛り上がった・・・ような気がした。牧野サンは楽しそうなんだけど、どこか防御線を張っているように見えるし、俺も、どこか気を遣ってる。今日のことで、突っ込んだことを聞いていいのかいけないのか。パン屋の前での出来事について聞くつもりで来たけど・・・なんか、タイミングが掴めない。やっぱり来ない方が良かったのかな、なんて今更ながら弱気になった。

 そんなこんなで室見川に到着。やっぱりマリのリードを牧野サンに託したまま、きれいに舗装された川原を歩く。サラサラと流れる水面に、三日月がぼんやりと浮かび上がっているのがキレイだな、と思った。



「・・・5月だっけ、草野くんとここで会ったの」

「あー・・・そんなこともあったような気がする・・・」


 城南祭の前だったな、宮田にめちゃめちゃ言われて、泣きそうになりながらここで落ち込んでたの。あの時、偶然ここを通りかかった牧野サンに声掛けられて、一緒に話をしたんだっけか。その時もマリがいて、いつの間にか逃げ出してたんだ。勝手に家に帰ってて、『散歩を放棄するんじゃない!』って母さんに怒られた。たった半年前のことなのに、もうずっとずっと前のことみたいだ。


「・・・何か、聞きたいことがあるんでしょ?」


 ふと牧野サンが歩みを止める。俺を見上げて、意地悪そうに笑いながら言った。・・・なんだ、ちゃんとわかってたんだ。俺が来た理由。恨めしそうに彼女を見ると、『ごめん』と笑いながら言った。でも、全然済まなさそうじゃない。


「ん?牧野サンが俺に言いたいことあるかな、と思って」


 負けじと言い返す。第一、直井との勉強会の時も、今日のプラネタリウムの前も、先に話を持ちかけようとしたのは牧野サンなんだから。牧野サンからリードを受け取り、手近な街灯に結びつける。ついでに、自分もベンチに座る。牧野サンも、ちょこんと横に腰掛けた。


「2回も何か言いかけたじゃん。模試の前と、今日と」

「・・・草野くんって、いつもは優しいけど時々意地悪だよね」

「褒めてもらえて嬉しいなあ」

「褒めてないし!」


 間髪入れない激しい突っ込み。何だか、いい雰囲気だ。来る前は、野球の時のような暗く思いムードになったらどうしよう・・・って心配してたけど、どうやらそれは杞憂に終わりそうだ。・・・まだ、言い切れないけど。


「ついでに当ててみようか?牧野サンが俺に言いたかったこと」

「わかるの?」

「何となく」

「じゃあ、当ててよ。1回で当てたら温かいコーヒーおごってあげる。もちろん缶コーヒーだけど」

「ばれたんでしょ?福岡にいること」


 笑いながらそう言ったら、牧野サンの顔が瞬時に凍りついた。・・・あれ?俺、この穏やかなムードをぶち壊すような事言った?あまりの急展開に、心臓がバクバク言う。フォローしようにも、何を言ったらいいのかわからない。1人でパニックになっていると、ようやく口を開いた。


「・・・草野くんって、いつも鈍いくせに時々鋭いよね・・・そういうのって、ずるいと思う」


 その声は、さっきまでのそれとは違い、弱々しくて今にも消えてしまいそうなものだった。




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