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『福岡の寒空の下、散歩でもしませんか?』

 ちょっとキザかな・・・と躊躇うこと数分。『星空』じゃなくて『寒空』だからいいや、と訳のわからない言い訳で自分を納得させて送信ボタンを押す。手紙が飛んでいくアニメが流れてから、ケータイの画面には『送信完了』の文字が写し出された。それからブルゾンを羽織って部屋の電気を消し、トントン・・・と足音を響かせながら階段を降りる。玄関に向かう途中、リビングでテレビを見ていた妹が、ひょこりと顔を出した。


「出かけるの?」

「ちょっとね・・・」

「どこに?」

「内緒」


 家族だからって、何もかもを告げてから出かけなきゃいけない、なんて法律はない。じゃあ・・・と軽く片手を上げてその場を過ぎようとしたけれど。妹の後ろからひょこりと顔を出したバカが、余計な事をしてくださった。にやりと笑って俺を見て、そしてくるりと身体を回転させて、ソファに座る母さんに、『兄貴でかけるみたいだよ』とご報告。しかも。


「牧野さんとこ行くみたい」


 などと、ご丁寧に行先まで告げてくださった。ってちょっと待て。俺はそんなことヒトコトも言ってないぞ。悪いこと、というか悪乗りは伝染するものらしく、妹までこのバカに感化され『今日は泊まってくるから帰らないって』などと、ありえない爆弾発言をしてくださった。そして何でも信じやすい母さんは血相を変えて飛び出し、俺の肩を掴んで『あんたをそんな子に育てた覚えはありません!』などと涙ながらに叫ぶ。俺も、そんな子に育てられた覚えはないけど。ってか、・・・この親子、頭のネジが1本足りないのか?反論する気力すら失せたけど、そうしないわけにもいくまい。

  

「・・・本屋行って、参考書見てくるだけだから・・・」


 つかまれた肩の手を無理やり振りほどき、そんなわけないだろ、こいつの冗談にだまされんなよ・・・と母さんに言う。ケータイの時計を見ると、8時を軽く回ったところだった。


「11時までには帰るよ」

「牧野さんと一緒に?」

「・・・・」


 いつまでもふざけてる弟の脳天をグーで殴る。バカにつける薬はない、っていうのはホントだ。こいつはきっとこのままずっとバカなんだろうな。これ以上付き合ってたら本当に時間のロスなので、これ以降は無視しよう。『今ので頭悪くなった!受験失敗する!』と叫ぶ弟は軽くスルー。行ってきますと、スニーカーを履いて玄関を出た。自転車で行こうとも思ったけど、相手のことを考えてそれはやめておく。歩いたって大した距離じゃない。

 無事――という言葉が適切かどうか、はわからないが――に遠足を終え、家に帰って真っ先にしたことは、父さんの書斎を訪ねることだった。もちろん不在の。一応母さんに許可を取って中へ入り、雑誌の山――床に積むんじゃなくて、ちゃんと本棚に入れろよ・・・と思った――を崩す。もちろん、探すべきものは『あの日』の経済誌だ。そして、比較的新しいそれはすぐに見つかった――と言っても、山3つ崩したけど。ぱらぱらとめくって、目当てのページを探し当てる。牧野サンと野球を見に行く日、母さんが俺に突きつけたあのページだ。ドウミョウジ何たら・・・のすぐ下の記事。


「・・・あった・・・」


 俺の記憶と勘は、捨てたものじゃなかった。そこに写っていた顔はまさしく、今日すれ違った顔だったから。茶道の家元で何とかかんとか。記事を読み進めていくと、ドウミョウジと同じ高校を出てることがわかった。つまり、牧野サンとも一緒だ。ページをめくると、そこにはやっぱり今日見た顔が2つ並んでいて。長髪は美作で、あの金髪もどきが花沢類。そして、2人とも英徳出身だった。間違いない、あの3人は牧野サンを知ってる。『わざわざ』はるか遠い『東京』から、牧野サンと『感動の再会』をするために福岡に来たんだ。それはどうしようもない事実だ。問題は『何故』。元気かどうか知りたくて会いに来ただけなら問題はない。『これからも福岡で頑張れよ』と、笑って手を振って別れられるのなら。でも、そんな可能性はほぼゼロだ。何故なら、牧野サンは彼らに自分の居場所を伝えてなかったから。簡単なあいさつを交わして、じゃあさよなら、と別れられる相手なら、彼らも彼女の居場所を必死に隠したりしないだろうし、今日だって3人から逃げ出したりしなかったはずだ。あの引きつった表情も、逃げ出す前の切羽詰った表情も、牧野さんの言動の何もかもがそれを物語る。


「・・・・」


 雑誌を床に置いて、しばらく考えた。隠し事はいつかはばれる。牧野サンのそれも、また然り。これは自然の摂理なんだから仕方がない。それに、これは彼女自身の身に降りかかったことで、言ってみれば俺には無関係の出来事だし、関係があるとしたって、一介の一高校生に何が出来るというわけじゃない。それなら、深く首を突っ込むようなことはせずに、成り行きを見守っていた方がいいのかな、と。でも、牧野サンは俺にSOSを出してくれた。助けを求めてくれた。それも2回も。タイミングが悪くて、彼女自身の口からそれを聞くことができなかったとしても、彼女が俺を頼ったということは、紛れもない事実だ。それなら、きちんと彼女の口から話を聞いた方がいいんだろうか、相談に乗ったほうがいいんだろうか・・・考えたけど、答えは見つかりそうにない。だったら本人に聞いてみよう。

 ・・・ってことで、この『夜の散歩大作戦』に踏み切ったわけだ。・・・って、あれ?俺、ちょっとやばいかも。いつの間にか作戦名つけちゃってるし。これじゃテツヤや直井と同類じゃん。あの2人とは一緒になりたくないって思ってたのに・・・がっくりとうなだれて扉を押す。入り込んだ外の風は、思ったよりも冷たかった。玄関先の犬小屋からマリが顔を出し、クウンと小さく鳴いて首をかしげた。


「・・・お前も行くか?」


 マリがいたら、気まずさも半減するかも、などと都合のいいことを考え、一度家の中に戻り、マリのリードを付け替える。思いがけない夜のデート――散歩、だな――に大はしゃぎのマリは、俺が止めるのも聞かずに嬉しそうに走り出す。こら!落ち着け!!とリードを引っ張りながらも、こんなに喜んでくれて嬉しいよマリ・・・と心の中で呟いてみた。

 福岡も寒くなったな、なんてマリと会話を交わして数分。室見駅の明かりが目に届く。その時、ポケットが震えて、軽快なメロディーが耳についた。しかし・・・この着うた、微妙に不満なんだよな。設定したのは田村。曲は・・・『何でもない日の応援歌』。これは邦題で、本当は『Bad day』という。バッドだよ?悪い、だよ?これが俺にぴったりだっていう田村は、絶対に親友甲斐がない。面白がってるだけだ、ちくしょう。田村に対する怒りを抑えながら、ケータイを取り出すと、『未読メール1件』の文字。開封すると牧野サンからで。『それはステキな事ですね』と一言だけ。でもこれって・・・オッケーなのかノーなのか、いまいちわからないんですけど。駅を越えたら、すぐに牧野さんのアパートだ。ついでに亜門の。俺は一体どうすればいいんだ?

 とりあえず、アパートの前まで行ってみよう。そこで電話してみればいいや。もしノーでも、俺にはマリがいる。彼女と楽しい散歩をするさ。・・・なんていいながらも、実は内心どきどきだ。なんか、断頭台に上る死刑囚のような気分。この門を曲がれば、もう牧野サンの家だ。やっぱり電話はやめて、メールにしようかな、と、弱音大爆発でポケットの中のケータイを触る。けど。


「遅いよ」


 曲がった先で俺を待っていたのは、頬を膨らませて、少し不機嫌な表情をした牧野サンだった。あったかそうなジャケット着てるくせに、ミニスカートなんか履いて。それって寒いんだか寒くないんだか良くわかんないんですけど。と、まあいいや、こんなことは。『遅いよ』って言ったってことは、きっと俺を待っててくれたってことだから。意味もわからずごめん・・・と謝ると、『怒ってないよ』と笑った。でもその笑顔は少し翳ってて、俺が今日、ここに来た理由に気付いてるんだろうな、と思った。







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