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 昔、軍歌であったよね。『月月火水木金金』って。受験生の毎日って、それと変わらないような気がする。一応、完全週休2日制って事で、土日はお休みだけどさ、俺らが行くのは予備校だったり図書館だったり。場所が違うだけで、やってることはいつもと同じ。教科書や参考書開いて、必死に鉛筆走らせて。まあ、心身ともに健全な青少年がそれに満足か、と言えば否だ。けど、長い人生のたった1年そこらのこと。ここで頑張るか頑張らないかで、自分の人生が変わっちゃう・・・となれば、やっぱり頑張らざるを得ないわけですよ。っていうのは、ちょっと大げさなような気もするけど。

 ということで、模試の日は呆れるほどに早くやってきた。ホント、あっという間だった。でもその短い時間の中で、教科書開いたり問題解いたり、赤ペン走らせたり難しい問題に発狂しそうになったりしたんだけど。・・・まあ、ホントのこと言っちゃうと、色んな妄想したり、牧野さんのコト考えたりもして。いつも通りの時間に起きて、いつも通り家を出て、いつも通りガッコへ向かったんだけど、いつも通りじゃないことがひとつ。


「・・・直井、来ないじゃん」


 試験開始5分前、皆が席に着いて、単語帳開いたり閉じたりしてる教室の中で、持ち主不在の席がひとつ。気になって気になって、その席を見たり出入口を見たり、妙に落ち着かない俺。ってかさ、これはないでしょ。今日の日のために必死に頑張ってた直井が、まさに試験が始まらんとする今、この場所に居ないなんて。どうしちゃったんだよ、と思いながら牧野サンを見る。すると彼女も俺に気付いたらしく、心配そうな表情を浮かべながら首をかしげた。今日の日の意義、っていうか、色んな背景を全部知っちゃってる俺たちとしては、ここはやっぱり見過ごせない事態なワケで。おせっかいとは思ったけど、『トイレ』と崎やん――模試の監督は、それぞれのクラスの担任だ――に告げ、教室をそっと出る。その瞬間、ちらりとあやのちゃんを見てみたけど・・・憎たらしいほどに、いつもと変わらなかった。人間できてると、自分の気持ちを表に出さずに済むのかな。少し羨ましい気もするけど・・・少し、可哀想とも思う。俺よりも牧野サンよりも、あいつのことを心配してるのは、きっとあやのちゃんだから。

 トイレに到着するまでは、なるべく堂々と歩き、ついた瞬間そそくさと個室まで走る。ポケットに忍ばせたケータイ使って直井に電話。でも、一向に出る気配はない。ついでに、留守電につながる気配も。ここで負けたら男が廃る、と、鳴らし続けること68回。ようやくプ・・・と、ラインのつながる音がした。


『・・・あい・・・・』

「お前、何時だと思ってんだよ。あと3分くらいで模試始まるぞ?」


 明らかに寝起きの声。・・・何か、心配を通り越して腹が立ってきた。っつーか、腹立てることも馬鹿馬鹿しくて、何か呆れてきた。この、何と例えたらいいのか分からない気持ちを無理やり押しこめて、何とか平静を保って声を出した。そして、意味不明の沈黙。


『・・・今、何時?』

「もう8時半だよ。あと2.3分で1限始まる」

『・・・・』

「どうする・・・・」


 つもりだ?と言葉を続けようとしたところで、妙な音が耳に届いた。ガツン・・・と何かにぶつかるそれに続いて、機械特有のプーという無機音。・・・ケータイ投げ出して、どこかにぶつかって切れた、ってオチか?やれやれ、と自分の電話も切る。直井もだけど、自分も心配だ。トイレ出て教室戻ったら、きっと問題が配布され始めてるだろう。1時間目はいきなり苦手科目の英語だ。っつか、実際は2日に分けて行われるセンター試験。模試だからって、たった1日で終わらせようってのは、結構きつい。朝8時半から始まって、帰れるのは午後5時頃だ。理系の奴らなんて、それから理科の2科目目をやるから、さらに1時間遅くなるはず。まあ、だからといって土日2日でやる、っていうのは遠慮したいけど。受験生だって、少しは息抜きしたい――毎日してるだろ、なんていう突っ込みはナシの方向で。

 急ぎ足で教室へ戻ると、予想通り問題が配られ始めていた。すんません・・・と謝りながら自分の席――今日は模試だから、名簿順に並ぶ。俺の席は窓側の、前から4番目。日差しが暖かい今は、睡魔と闘うのが大変かもしれない――に座る。


「何、ウチでしてこなかったのか?」

「違う」


 田村の嫌がらせを軽く受け流しながら、『1時限目 英語』と書かれた表紙を目にしたら、突然緊張が襲った。うわー・・・何、これ。前の模試じゃ、何も感じなかったのに。やっぱり水曜日の坂口さん効果か?なんて思いながら、表紙の注意事項を黙読する。そうこうするうちに、崎やんの『始め』と言う声がして。大きく深呼吸して、問題に手をかけた。


「・・・・・」


 最初は発音問題。これ、すげー苦手・・・と思ってたんだけど。


「・・・マジで?」


 小さく呟いて、思わずガッツポーズした。だってさ、わかるんだもん。理由はわかんないけど。水曜日、亜門に耳にタコができるほど言われたんだよな。『英語はとにかく単語だ。単語を覚えろ。声に出して覚えろ』って。中学生じゃあるまいし、自分の部屋で音読なんかできるかよ・・・ってバカにしてたけど。『受かりたかったらバカになれ』とか言われてさ。バカになって呼んだよ。そしたら、ちゃんとわかるの、アクセントの位置が。うわー、なんか、すげえ。流石亜門サマサマだ。問題集や参考書なんてあてになんない。持つべきものは先人――っつか、大学受験経験者の知人だね。

 最初の問題で妙にテンション上がっちゃって、上手い具合に軌道に乗れた俺は、その後もスイスイ――は大げさだけど――と問題をこなしていく。単語の並べ替え問題は、前置詞や助動詞に印をつけて、文章の並べ替え問題は、ちゃんと前置詞に気をつけて。牧野サン経由で亜門に教えてもらった単語集――過去何年間のセンター問題で、頻出してる単語ばっかを収録したという、何とも手間のかかったスグレモノだ――で覚えた単語ばっかり出てきて。気持ちが良いったらありゃしない。けれど。

 ガダン・・・と大きな音がして、勢いよく前方の扉が開いた。扉ってものは、勝手に開くものじゃなくて。ということは、開けば誰かが入ってくる。手をかけたまま、息を切らして肩を大きく上下させるのは、他の誰でもない、直井だった。学ランのボタン全部外して、中にはカッターシャツじゃなく、フツーのカラーTシャツ着て。髪はボサボサのまま。きっと、俺の電話で飛び起きて、着の身着のまま出てきたんだろう。ってことは、中のTシャツはパジャマか。


      



「・・・どうした?」


 崎やんが低い声で聞く。きっと試験中の他の奴らを気に掛けてなんだろうけど、いつもと違うそのトーンは、まるで怒っているようにも聞こえた。机にセットしたアナログの時計――高校入学した時に、父さんからもらったやつだ――を見ると、もうすぐ9時半になろうというところで。試験が始まってから、1時間近く経過していた。


「・・・すいません」

「・・・早く座れ。あと20分だ」


 どうした、なんて聞かなくたって、直井の姿形を見れば何があったかすぐわかる。顎で直井の席を指した崎やんは、何事もなかったかのように、さっきと同じように教室を見回り始めた。カンニング防止、というよりも、居眠り防止のため。

 国立文系クラスは、女子の数が圧倒的に多い。だから、『く』と『な』でも、名簿ではそれほど離れているわけでもない。田村は俺の隣だし、直井は、その田村の2つ後ろの席だ。だから、直井が自分の席に行くためには、必然的に俺の隣を通る。唇をかみ締めて俯くその顔からは、後悔しか読み取れなくて。俺は何とも言えない悲しい気分になった。

 直井があやのちゃんとの約束を果たすためには、英語を除いた科目で、ほぼ満点を取らなければいけないから。


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BGM♪BUMP OF CHICKEN:カルマ