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「お2人さんどうぞ」


 何となく笑い続けていた俺たちの前に、亜門がグラスをすっと差し出す。牧野サンの前には、キレイな薄ピンクの背の高いグラスが。俺の前には、レモン色のシュワシュワ音を立てる透明な液体が注がれたグラスが。牧野サンのやつは、縁にラズベリーみたいな赤い実やミントのような緑の葉が飾ってあって、明らかに『高級ですー』って感じを漂わせてるんだけど・・・俺のは・・・


「・・・コレ、もしかしてレモンスカッシュ?」

「そうだけど?」

「・・・なんで牧野サンはカクテルなのに、俺はジュースなワケ?」

「それも立派なカクテル。別に酒じゃなくてもいいのよ。元々は『混ぜ合わせたもの』っつー意味だから」

「でもレモンスカッシュだよ?」

「炭酸水とレモンとシロップを俺が丁寧に混ぜ合わせました。お客様、何かご不満でも?」


 妙に丁寧な口調でそう言われると・・・なんていうのだろうか、グウノネも出ない。お客様は出されたものに不満なんてございません。ただ、隣のカクテルと比べたら、自分のそれがとってもチープなものに見えてしまったのでございます。だからちょっと悔しかったのでございます、って感じだ。うつむいて肩を落とす俺を見て、亜門も坂口さんも牧野サンも、声を出して笑った。それがちょっと、癪に障る。


「まあ、若い者どうし適当に飲んで帰れ。マサムネ、ちゃんと牧野送ってけよ」


 亜門はそう言って、カウンター越しに俺の額をつついた。坂口さんはそれを見て『送り狼になっちゃだめだよ』と言い、牧野サンはさらにそれを見て『変なこと言わないでください』と頬を膨らませた。ひとしきり笑った2人は、ベルの音――来客を告げる合図だ――で、いつもの『マスターと店員』の顔に戻る。いつものことだけど、さすがプロだ。一瞬で変化、なんだもん。


「・・・草野くん、亜門に気に入られてるんだね・・・」


 何とかいうカクテルを一口飲んだ牧野サンは、ちょっと意外そうに、でも楽しそうにそう言った。そういえば、前坂口さんにもそんなこと言われたっけ。言われた本人、そんな感覚全くない――どちらかといえば苛められてる感が否めない――んだけど。『そうでもないよ』と答えると、牧野サンは力を入れて『絶対気に入られてる』と言った。



「亜門があんなに人に優しくするの初めて見たよ」

「・・・優しいか?」

「優しいよ。だって、草野くんの言葉には絶対返事するし、自分からも話しかけてるし」

「・・・それって、人として当然のことじゃないの?」

「時々、当然じゃない人もいるのよ」


 あたしの周りには、そういう人がたくさんいたから・・・と、少し淋しそうに笑う。それって、東京にいたころの・・・っつーか、ドウミョウジのことかなー・・・なんてふと思ったけど、それをこの場で口にするほど、俺もバカじゃない。そうなんだ・・・と曖昧に返事をして、亜門の作ってくれたレモンスカッシュに口をつける。それは市販されているものと違って、よりレモンの酸味がきつかった。でも、それが甘さを引き立てていて、いつも飲んでいるものよりもずっと美味しい。もう一口飲んで・・・何となく、気まずくなった。牧野サンの言うところの『そうじゃない人』について聞くのも、なんだか変な話だし、かといって、これと言った話題転換ができるわけじゃないし。苦肉の策、ってわけじゃないけど、『あやのちゃん元気だった?』ときいてみる。今日ガッコに来てたんだから、元気なことは知ってるけど。しかしタイムリーだね。俺は直井と居て、牧野サンはあやのちゃんと会ってたなんて。

 元気だよ、という返事が返ってくると信じて疑わなかった俺は、牧野サンが少しだけ顔をしかめて、『元気ないんだよ・・・』と答えたことに、心底驚いた。だって、昼休みとかいつもと変わんなかったじゃん。いつもどおり、ニコニコしてたじゃん。


「何かね、お友達とケンカしたみたい」

「あやのちゃんが?」

「そう」

「あんなに温和なあやのちゃんが?」

「あたしもちょっとびっくりしたんだけどねー・・・」


 誰とケンカしたのかなぁ・・・と心配する牧野サンに、『誰だろうねぇ・・・』なんて適当に相づち打ちながら、相手は100%直井だな、と勝手に解釈。そっか、あやのちゃんも気にしてたんだ。よかったじゃん、あいつ。ただ単に『三行半』突きつけられたわけじゃなくて。ほっと安心すると同時に、ちょっとだけ直井がニクい。なんだかんだ言って愛されちゃってるんだもんなぁ・・・結局、あまりにも勉強しない直井を心配して、あやのちゃんが強攻策に出た・・・ってだけだもんなぁ。

 ふて腐れてレモンスカッシュを一気飲み。そしたら。


「草野くん、遠足、一緒に回らない?」


 牧野サンが突然そんなこと言い出したから・・・思わず、口の中のものを一気に噴出した。ブホッ・・・っていう水音がして、口とテーブル上は一気にレモンスカッシュの餌食・・・だ。口はべたべたするし、机の上は水浸し。やばい、と思って亜門を見ると・・・


「・・・・」


 顔しかめて、無言でクロスを投げつけた。見事に顔でキャッチした俺は、それで口と手を拭く。そうこうしてるうちに、今度は坂口さんがテーブルの上を片してくれて・・・お2人に感謝、です。


「・・・大丈夫?」

「・・・何とか」


 根源の牧野サンは、笑いをこらえてそう言って。そして慌てて『2人で・・・って意味じゃないよ!』と、両手をぶんぶん振って自分の言葉を否定した。・・・ってか、そこまで本気で否定されると、さすがの俺もちょっとへこむんですけど。


「あのね、今度の遠足が終わったら、もう完全に受験モードに入って、しばらく息抜きもできないでしょ?だからそうなる前に、ショコと田村くんを一緒に遊ばせてあげたいなー・・・って思って、でもきっとあの2人だけじゃだめだろうから、だったらユカや三輪くんも誘って、前のカラオケや花火の時みたいに、みんなで騒げたら・・って・・・」

「・・・そうだね・・・」


 そういえば、今度の遠足が、ある意味高校生活最後のイベント――もちろん、試験や受験という、ぜんぜんありがたくないイベントは数多く残っているけれど――だ。最後くらい、ぱーっと楽しまなきゃ損だよ。うん。


「三輪くんは、何もしなくたって『ユカちゃん一緒に回ろう?』って言うでしょ?あたしと草野くんも一緒に回るって言えば、必然的に6人で行動できるかな・・・なんて思ったんだけど、どう?」

「・・・やばいくらいに確実な作戦だと思うよ」


 目をハートにして、抱きつかんばかりの勢いでユカに突進するテツヤを想像して・・・心のそこからうなずいた。この場合、ユカと一緒に回れて幸せなテツヤ、田村と一緒に回れて幸せなショコ、牧野サンと一緒に回れて幸せな俺、そして、自分の作戦が成功して幸せな牧野サン。みんな幸せじゃん。特に何も感じないだろう田村は、まあ・・・幸せ組だな。テツヤの迷惑極まりない行動に落胆し、怒り暴れるユカには、申し訳ないけれど我慢していただく方向で。

 そんなことを考えていて、ふと思いついた。直井とあやのちゃんも、一緒に回ればいいんだって。もちろん、俺たちと8人で回らなくたって、2人きりで回ったっていいんだから。そこで2人は仲直りできるし、もしかしたら、あやのちゃんと遊べるってことで、直井のやる気も出るかもしれない。帰り道、直井に電話して提案してみようかな・・・なんて、亜門が作ってくれた2杯目のレモンスカッシュを飲みながら思った。

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