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「・・・で?」
「・・・で?・・・って?」
意外にもそっけない上に冷たいリアクションに、思わず戸惑って聞き返してしまった。で?って、で?って・・・ここまで話したら、続く言葉くらい想像できるでしょ?
「受験生の自覚が足りてなかったって事、ご丁寧にわざわざ報告しにきてくれたって?」
カウンター越しのマスターの言葉に、思わずぷっと噴出す店員。そしてその2人に思わず不貞腐れる俺・・・って、何『バーに来たお客様ごっこ』してんだろ、俺。わかってると思うけど、ここは亜門のバー。そして、思わず噴出したのは、いつも穏やかだけれど時々鋭い坂口さんだ。田村の家で直井とタッグ組んで、その興奮で田村んち飛び出して、家に帰って服を着替えて。そして、今日は何故だか冴えてる俺は思った。模試まであと4日間。たったこれだけの短期間で、一体どうやったら成績を上げることができるのか・・・と。考えて考えて考えた結果。
「お願い。勉強・・・ってか、模試で良い点取るコツ、教えて」
餅は餅屋・・・じゃないけど、ここはひとつ、先人の知恵を借りたほうがいいんじゃないか・・・って事で、ワラにもすがる思いで、ここを訪ねてみた。いくら大学を卒業しているとはいえ、オヤジにそれを聞いてたところで有益な情報が返ってくるとは思えないし、市内に住む親戚の大学生を訪ねたところで、年に1.2度会うだけの彼らに、『成績の上げ方をオシエテクダサイ』などという恥ずかしいことを聞けるはずもない。その点、亜門だったらどんな醜態曝したって、今更恥ずかしいこともない。・・・それも、どうかと思うけど。早い時間が幸いしてか、店内には女子大生風の2人組――大学生って、こんなところで酒が飲めるほどリッチなのか?――しかおらず、こそこそ声ではあるけれど、こうして話をすることができる。
「残念ながら、勉学は俺の範囲外です。ってか、そんな短期間で良い点数取ろうなんて考えるのが無駄だ。そんなことに尽力せずに、真面目に勉強しろ。30点くらいは上がるかもしれないぞ」
「無駄って言うな!」
「無駄ムダムダムダー」
「亜門さん、大人気ないですよ・・・」
一応、自分の上司――っていうのかな、バイトの場合も――をおおっぴらに笑っちゃいけないと思うのか、坂口さんは笑いをかみ殺した、妙に苦しそうな表情でそう言う。・・・確かに、大人気ないよな・・・今の言い方は。少しばつが悪そうにする亜門に、追い討ちをかける。ここで情けをかけたら武士の名が廃る・・・っつか、俺の将来真っ暗になる。ついでに直井のそれも。
「範囲外じゃないだろ。だってちょっと前までは大学生だったじゃん。大学入れるくらいに勉強してたって事だろ?だったら大丈夫だよ。亜門ならできるって」
「そんな昔のこと、もう忘れたよ・・・っていうか、何だよ、その励ましてるみたいな言い方。俺は落ち込んでないし、お前に励まされる理由もないぞ」
「そこを何とかっ!」
「無理」
顔の前で両手合わせて、カウンターの中にいる亜門に頭を下げるけど・・・ぷん、とそっぽを向いたまま、グラスの水滴なんか拭いてやがる。俺の言うことなんて一切無視します!の勢いだ。これは・・・難攻不落かもしれない。このまま亜門が折れるまで頭下げ続けるか?いや、こいつの性格からして、引き受けてくれるとは考えにくい。でも・・・家に入れてくれたり飯食わせてくれたり、優しいところもあるぞ?しかしこの場合は・・・と、『お願い』のポーズを取りつつ頭をフル回転させて考える。・・・で、ひらめいた。ダンっとカウンター叩いて、くるりと回れ右。
「・・・え?」
目を合わせた瞬間、坂口さんが引きつった笑顔を浮かべて、1歩後ろへ下がった。そうだよ俺、ナイスじゃん。坂口さんが、現役大学生って事すっかり忘れてた。ここは亜門に頼むよりも坂口さんにお願いしたほうがタイムリーだろ。
「お願い坂口さん。ホント、ちゃちゃちゃっと3分くらいでいいの。ホラ、俺ちゃんとノートも持ってきたし。メモってまとめて、すぐに帰るから」
「坂口、アホは放置」
「アホじゃない!」
「どこの世界に、3分アドバイスもらっただけで頭が良くなるなんていうミラクルがあるんだよ。それを真に受けてる・・・っつーか、それで本当に頭が良くなると思っている奴を、アホって呼んで何が悪い」
「本気で思ってるわけじゃないもん。ただ、ちょっと成績が上がるかなーって・・・」
「そういうのを『思ってる』って言うんだよ」
「ま、まあまあ2人とも落ち着いて・・・」
「坂口、お前もいやなものはいやだってはっきり言え」
「えー。そんな、将来有望な受験生の未来の芽を摘むようなこと言うなよ。仮にも俺の味方だろ?」
「お前の味方になった覚えもつもりもない」
腕を組んでふん・・・とそっぽを向く亜門に、がくんとうなだれる俺。まあね、亜門が優しくオッケー出してくれるなんて、端から思ってないけどさ・・・だからって、ここまで頑なに拒否した上に、『アホ』呼ばわりされるとは思わなかったよ。もちろん、自分でも甘い考えだってのはわかってるよ。だから、ちゃんとセンターの勉強しようとも思ったけどさ、けどさ・・・何かに縋りたい受験生の弱さも、少しくらい汲んでくれたっていいじゃないか。
そんな俺の心中を察したのか、優しい坂口さんは『受験生って、結構ナーバスになっちゃうから、なんにでも縋りたくなるんですよ・・・』とフォローを入れてくれる。けれど、雇い主でもある亜門にも同じように。
「マサムネくん、気持ちはわかるけど、勉強の能力って一朝一夕で身につくものじゃないんだよ。そりゃセンター試験は筆記と違って、コツさえ掴めば点数取れるところってあるけど、それでもやっぱり3分10分なんていうレベルじゃないんじゃないかな・・・」
「・・・・・」
カラン・・・と来客を告げるベルの音が聞こえた。普段、お客さんを出迎えるのは坂口さんの役目だけど、今は俺と話をしてるからなのかな。亜門がカウンターから出てきて『俺が行く』と言った。・・・こういうところって、何だかんだ言って大人だし、優しいと思うんだよな。坂口さんはこの店から給料もらってるんだから、金の足しにもならない俺の子となんて放っておいてもいい・・・って判断するのが普通だと思うけど、でも亜門はそうしない。
ドアへ向かう亜門の気配を背中に感じながら、坂口さんの言葉を聞く。彼の言うことはもっともだと思う。
「わかってるけど、でも・・・俺も結構必死だから。俺美大行きたくて、ライバルに負けたくなくて実技の勉強ばっかりしてて、センターのこと、すっかり忘れてて・・・」
「うん。だから、明日ウチへおいで」
「・・・へ?」
聞こえてきた言葉があまりにも予想外で、思わず顔を上げた。坂口さんはいつもと同じようにニコニコ笑っていて。
「水曜日は定休日だからバイト休みだし、5時くらいには講義も全部終わると思うから。それから、少しだけだけど勉強見てあげるよ」
「・・・マジで?」
「もちろん。・・・多分、亜門さんもそうしろって言うだろうし」
あの人、素直じゃないからね・・・と坂口さんが苦笑する。と同時に、背後に2人の影が見えて。
「珍しい客だぞ」
亜門が面白そうにそう言ったから、そのお客さんをちらりと遠慮がちに見て・・・俺は驚きのあまり、目を見開いてしまった。
次回更新予定8月28日