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 そんな紆余曲折を経て、今こうして田村の部屋No,2でくつろいでいるわけだ。一足先に着替えを済ませた田村は、ペットボトルの緑茶とスナック菓子を振舞ってくれ、俺たちはそのご相伴に預かっているのだが、相変わらず、直井は暗い。あのいつもの飄々とした雰囲気はどこへやら・・・だ。いつも明るいヤツが明るくないだけで、こんなに居心地が悪くなるものなのだなぁ・・・と、俺は心配するどころか、何故か感心してしまった。


「・・・ごちそうさま」


 喉が渇いていたのか、グラスの中身を一気に飲み干すと、テーブルにそれを置いて再び溜め息。こりゃこっちから仕掛けなきゃラチがあかないな・・・と珍しく的確な判断を下せた俺は、再び田村が注いだお茶に手をつけようとする直井に直球をぶつけてみることにした。


「ねえ、あやのちゃんと何があったの?」


 ・・・あれ?俺、何かやばいこと言った?一瞬、ホントに一瞬だけその場の空気が固まって、直井は口に含んだお茶を吐き出し――汚いなぁ・・・――田村は、何もないテーブルの上にお茶を注ぎだした。2人して同じように目を真ん丸くして俺を見る。その様子に驚いた俺もまた、2人を忙しなく見た。


「バカ草野!お前そこまで直球投げるか?フツー、テツヤじゃないんだから、少しは場の空気を読め!」


 ペットボトルを投げ出すように床に置き、田村はこれでもか!という程俺の額をぺちぺちと叩く。痛いんだけど、痛いんだけど・・・その必死の形相が何だか面白くて、怒るに怒れないぞ、これは。しかも音が良いし。その音を楽しみながら――先に断っておくが、痛みが心地よいわけではない。つまり、俺にその気はないということ――直井の様子を盗み見ると、うわーん・・・と、テーブルにうつぶせて、大泣きした。・・・いや、大泣きするマネをした。『草野が俺をいじめるぅ・・・』と言う直井に、『いや、違うから・・・』と、右手で突っ込みを入れながら言う。もちろん、額を叩かれながら。



「どうせ俺のこと、溜め息ばっかりの役立たずとか思ってんだろ?いいよいいよ、どうせそうなんだから・・・」

「いや、思ってないし・・・確かに、溜め息はちょっとダメだけど・・・」

「情けないヤツだって思ってんだろ?こんなんだから、あやのっちに三行半突きつけられるんだぞって・・・」

「情けないだなんて思って・・・って?」


 何、こいつ、三行半って・・・アレだろ?つまり、あやのちゃんに振られたって事だろ?


「・・・マジで?!」

「マジで・・・」


 あまりの驚きで、思わず声が裏返る。直井は、自分で言った言葉――ある意味自虐だな――でホントに悲しくなっちゃったらしく、今度こそウルウルと目に涙を浮かべて俺を見た。今にも俺の手を握らんとばかりに――まるで昼休みの再来だ――『これ以上バカになったら別れる!』って言われた・・・と言う直井に、何て言葉をかけたらいいのかわからず、思わず田村を見る・・・けれど。


「悲しみの最中に悪いが、三行半ってのは、江戸時代の離縁状の別名で、婚姻していた男女が離婚する時に書かれた文章のことだぞ。お前の場合、ケッコンしてるわけじゃないから、その言葉を用いるのは少々用途違いのような気がするが・・・今回の場合はむしろ『最期通告』って言う言葉を・・・いてっ!」


 真面目くさった顔でウンチクを垂れる田村に、思わず頭突きをかます。


「どうでもいいコトを今この場で言うなよ!お前はテツヤか?!」


 さっき言われて悔しかった言葉を、そっくりそのまま田村に返してみる。あ・・・ちょっといいかも。でも、言われた田村は不服そうに顔を顰めて、『受験生だったら知っとけよ!』と、何故か逆ギレした。まあ確かに、三行半も最期通告も、日本史に出てきたけどさ・・・時々、田村がわからなくなる。本気で言ってんのか、それともこの場の空気を少しでも軽くしようと、気を利かせて言っているのか。とりあえず、今日は田村のその言葉を聞いて、直井が顔上げてくれたからいいけど。しかも『そうなのか?!』なんて本気でびっくりしてるから勘弁して欲しい。今は日本史のお勉強中じゃなくて、お前の悩みを聞く時間だろ!!・・・と突っ込みたい気持ちは山々だけど、まあ、口を閉じておこう。


「今、2つ覚えた。これで頭良くなったかな・・・」

「まあ、今の2つじゃ無理だな。センターにも筆記にも、あんまり出たためしがない。っつーか、中学生でも習うから」


 そうか・・・そうだぞ・・・と、腕組んで納得し合ってる2人を見て、体のそこから脱力した。・・・なんか、俺が下手に間に入るよりも、2人で話進めてもらったほうが丸く収まりそうだ。傍観を決め込んで、田村が持ってきてくれたポテトチップの袋に手をかける。中身を鷲掴みし、口に運びながらやり取りを見ていると、これがまた何とも言えず。『これ以上成績が落ちたらホントに振られる』という直井と、『この時期に成績が落ちるようじゃ、本命の大学は行けない』と返す田村。噛み合ってるんだか噛み合ってないんだか、良くわからないけれどそれがまた面白い。


「で、事の発端は何?」


 面白いけど、このまま放っておいたら戻ることのできない領域に足を踏みかねないので、たまらず助け舟を出す――って言うよりも、さっきからずっと聞きたかったんだけどね。それを。と、まあ俺の心情なんてどうでもいいんだけど。昼休みにあんな切羽詰った顔して助けを求めてきたんだから、きっとその辺りで何かあったんだろうな・・・と察しはついていたけど、直井の言葉でそれを確信する。


「いや・・・昼休み、偶然あやのっちと購買で一緒になってさ・・・ここんとこ、あやのっち塾やらなにやらで忙しくて、全然遊んでもらえなかったから、今度の日曜日こそは遊ぼうよ・・・って言ったら、突然怒り出して・・・『受験生の自覚持ちなさい!』って怒られた挙句、みくだり・・・最期通告を言い渡された」

「へぇ・・・・って、田村?」


 隣に座る田村をちらりと見たら、目を見開いて口あけて、それは間抜けな顔をしていたから・・・思わず、その名を呼んでしまった。しばらくそのまま呆然として、そしてふと我に返って、いきなり『ああ、ソウイウコトだったのか・・・』と1人満足そうに笑った。


「・・・何が?」

「いや、さっきから会話が噛み合わないなぁ・・・って思ってたんだけど、今わかった。直井は受験勉強の心配してたわけじゃないのか。ああ、なるほど・・・って、お前辻さんと付き合ってんの?」

「遅いよ!!」


 もちろん、直井とダブルで突っ込んでしまったのは言うまでもないだろう。そりゃ確かに、今までに付き合ってるって事を裏付ける決定打は見せていないけど、でもさ・・・昼休みのこと――あやのちゃんが教室に来た瞬間に、直井の表情が変わっちゃったアレだ――とか、『あやのっちに三行半突きつけられる』とか、そういうもので気付いていてもおかしくなかったのに。いや・・・田村は侮れない。鋭いようでどこか抜けてる。


「で、振られるの?」

「これ以上成績下がったら」

「日曜日に遊ぼうって誘ったんだ・・・」

「だって、ずっと遊んでくれなかったんだもん・・・」

「・・・へぇ」


 突然、田村は俺を見て、にやりと笑う。・・・別にいいよ、わかってるもん。今週末、日曜日は模試だってこと、すっかり忘れてたもんね、俺も。・・・まあ、テツヤ以外にも仲間がいて良かったって思えば、気持ちも楽だよ。要するに、ウチのクラスの美大組は、そろって受験生の自覚が足りなかったって訳だ。うーん・・・直井も可哀想だけど、こうして田村に馬鹿にされてる俺もかわいそうだよ?ここはひとつ、直井とタッグを組んで成績上げるしかねえだろ。

 ・・・と、単純明快な俺は、そういう突拍子もない結論にたどり着き、その上、ものすごいやる気が出ちゃったわけで。俯き気味の直井の手を取って、まるで昔の青春ドラマよろしく『頑張るぞ』と、1人決意を胸にしたのだった。



「田村見とけ、俺だってやるときはやるぞ!!」



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