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「まあ、飲め」

「・・・ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げ、直井は差し出された緑茶を両手で受け取ると、この世の終わりだ・・・と見ている方が泣きたくなるような深く重いため息をついた。一体、これで何度目だろう。ガッコを出てから今まで、直井がついたため息の数は。よく『ため息をつくと幸せが逃げる』なんていうけど、それがホントだったら、この先直井は不幸のどん底に落とされるのだろうか。それは・・・ちょっと、かわいそうな気がする。だけど、こいつが自分からその理由を言ってくれない限りはどうすることもできず・・・結局、暗い気持ちになりながら、このため息コンサートを聴き続けるしかないのだ。

                         


 昼休み、悲痛な面持ちで俺に助けを求めた直井。手を握られるのはちょっと気持ち悪いけど、切羽詰って八方塞!のオーラを全面に放出するクラスメイトを見放すような冷たいハートを持ち合わせていない俺は、できることならやってやろうと、『何があったんだ?』と優しく――もしかしたら、ただへらへらしてるように見えたかもだけど――問いかけた。

『じつ・・・』

 そう言うと同時に、教室のドアがガラリと開いて・・・何かを言いかけた直井の表情が・・・瞬時に凍りついた。音を立てて――だって、ホントにサァ・・・って音が聞こえたんだもん――顔を青くして、あわわ、あわわ・・・と何かを呟きながら俺の手を離す。

『つ、続きは放課後に!!』

 なんて、まるでテレビアニメの予告みたいなこと口走って、さっき開いたのとは違う扉から、血相抱えて飛び出した。その場に残された俺と田村は、いなくなった直井の幻を見つめて、ただぼんやりするしかない。ようやく我に返った田村が、今の何?と言うけど・・・この場合、何て答えたらいいんだ?

『さぁ・・・?』

 分からないからと首をかしげたところでどうにかなるわけもなく。でも教室に誰かが入ってきたから、直井は出て行った・・・ってコトは、その『教室に入ってきた人物』こそが、直井が『逃げ出したかった人物』ってことだ。とりあえず教室をぐるりと見回したけど・・・昼休みだから、みんながみんな好き勝手なことしてて、誰が教室に入ってきて、誰が教室から出て行ったなんてこと、その瞬間を目撃してなきゃ分からないよ、という状況だった。俺が気になったことっていったら、あやのちゃんが自分の席に座ろうとしてたことくらいだ。

『今、教室入って来たのって、あやのちゃん?』

『さあ?直井の態度が気になって、そこまで見てなかった』

 流石の田村も、そこまで観察できなかったみたいだ。でも、直井が慌てて教室を出て行った理由があやのちゃん、っていうのは・・・分からなくもない。だって、あの2人付き合ってるんだもん。でも、直井が彼女を避ける・・・っていうのは、きっとケンカしたからなんだろうけど、あやのちゃん見てても、そんな雰囲気――怒ってるとか悲しんでるとか――全然出してない。やっぱり、あやのちゃんくらい頭がよ良いと、滅多なことじゃ感情を表に出したりしないのかなぁ・・・女の子なのにすごいなぁ。まあ、俺が分かり易すぎって言ったらそれまでなんだけどさ。あ、なや事思い出しちゃった。かの奥田さんにも、そんなこと言われたんだっけ

 何だろうなぁ・・・とあやのちゃんをじーっと見つめてたら、この不思議な――というよりもおそらく気味悪い――視線に気付いたのか、彼女とばっちり目が合った。不思議そうに首をかしげる彼女に、なんでもないよ、怪しくないよ・・・という意思表示をするため、にっこり笑顔で手をひらひらと振ってみた・・・けれど。

『・・・お前、変だぞ』

 自分でも充分承知してたことを、田村に言われた。それはそれで・・・結構ショックだな。何て事を考えてるうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが響く。じゃあ頑張れよ、と、何に対して言っているのかよく分からない言葉を残し、田村は自分の席へと戻った。本鈴が鳴る前には直井も席に戻り、何だか別人のようにくらいオーラを纏いながら、午後の授業を受けて――というよりも、こなしていた。

 そして放課後。崎やんのホームルームも終わり、後はおうちへ帰りましょう・・・とクラス中がざわめく中、やっぱり暗いオーラを纏った直井が俺のところへ来て、『今から、いい?』と言った。コンマ1秒で『嫌!』と首をブンブン振りたい衝動に駆られたけど――だって、怖いんだもん――、そういえば昼休み、教室を飛び出る前に何か言っていたなぁ、と思い出して、それは何とか留まった。俺らのやり取りを、帰り支度をしながら自分の席で見ていただろう田村が、草野、と俺を呼ぶ。

『俺、先帰るから』

 じゃ・・・と右手を挙げて外へ向かおうとする田村を、ものすごい必死に追いかける。冗談じゃない、あんなに暗いオーラ纏った直井と2人きりにするつもりか?それは親友助け合い法違反の罪に問われるだろ。教室の扉に手をかけたところで、田村の右腕を何とか捕獲した。

『・・・なんだよ』

『1人で逃げようったって、そうは行かないから・・・』

『だって、助けてって言われたのお前じゃん・・・』

『残念ながら、俺1人じゃどうしようもない・・・』

 引きつった顔で何とか俺から逃れようとする田村と、何があっても離すものか!と必死にしがみ付く俺。理由と状況を知らないやつらから見たら、さぞかし滑稽なシーンだろう。でも、笑いたいなら笑うがいいさ。どんな恥をかこうとも、ここで田村を解放するわけにはいかない。

『いや、お前が1人で助けるべきだって』

『俺には無理』

『やる前から決め付けるなよ。大体、お前はいつも人に何かしてもらい過ぎだ。たまには人にしてやることも大事だぞ』

『それは今じゃなくていいから』

『今やれよ』

『だから無理。もし俺が暴走しちゃったら、それを止める術を知っているのは君しかいないんだよ田村くん!!』

 語尾なんて、思いっきり怒鳴っちゃってるじゃん、俺。でも、そんな怒鳴り声にひるむような田村じゃない。第一、俺は直井が落ち込む理由が全然分からない!だから俺がいたところで邪魔なんだよ!と、もう全くもって意味不明な言葉を叫びだす始末だ。お互い一歩も引く気がなくて、何処までいても平行線だと思われたこの戦い――っていうのか?――を俺の勝利に導いたのは、なんと、いつの間にか俺たちの傍に来ていた直井の一言だった。

『・・・俺も草野1人じゃ不安だから、田村さえよければ一緒にいて欲しいんだけど・・・』

 くらーいオーラ背負って、じとーっとした小さな声で、ポツリと呟かれた瞬間、俺らの動きはぴたりと止まった。そんな俺らに気付いてるのか気付いてないのか、相変わらずのぼそぼそ声で、直井はさらに言葉を続ける。

『実は、昼休み切羽詰って草野にすがっちゃったけど・・・後からよく考えたら不安になっちゃったんだよね。俺、すがるとこ間違えたんじゃないかな・・・って。それにさっき自分でも言ってたけど、切れた草野が暴走したら、俺どうしたらいいかわかんないから・・・』

『・・・お前、それ本人の前で言うか?』

 軽い脱力感を感じちゃった俺は、思わず直井にそう突っ込む。まず、俺は切れることもないし暴走もしない。・・・いや、暴走するかもしれないけど、自分の感情くらい自分でコントロールする自信が少しはある。そして俺だってたまには頼りになる、と思いたい。だから、田村も直井も俺に対して失礼すぎるよ、全く・・・

 どんより悲しみモードの直井と、何故かプンスカ怒りモードの俺。正反対の2人を交互に見ながら、やがて田村は大きなため息をついた。そして、長年こいつと付き合ってきた俺は、このため息が意味することをちゃんと知っている。ふぅ・・・じゃなくてはぁ・・・のときは、絶対に良い知らせが続く!!

 俺の(あまり当たらない)予想通り、田村は苦笑しながら言った。

『分かった。確かに草野だけじゃ不安だから、俺も付き合うよ。っても、寄り道は一応校則違反だし、だからって立ち話で何とかなる問題でもなさそうだし・・・ウチ、来る?』

    

 もちろん、俺と直井がすぐに頷いたのは言うまでもないだろう。



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