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 今日はおかしい。何かがおかしい。かねてより――っつっても2週間前だけど――心を痛めてた『牧野サン問題』が多少とはいえ、解決したことで、いつもより気分良く登校した火曜日。もちろん、先週出された数学の宿題――単元全部約50問という、恐ろしいやつだ――もキチンとこなし、他の授業で出された宿題もちゃんとこなし、俺って偉くない?と自画自賛しながら、余裕を持って授業に臨んだ・・・にも関わらず。

『次、三角関数単元の問36は・・・草野』『次の練習問題、「伊勢物語」の現代語訳は・・・草野君』『英訳問題の最初のセンテンスは草野さん』と、午前中の授業3つで、悲しいかな、全て当てられてしまったのだ。普通、1番前の席ってあんまり当たらないのに。しかも全部次の授業までの宿題。しかもしかも。数学も古典も英語も、全部明日ある授業だっていうのね。全く・・・受験のカミサマはなんて意地悪なんだろう。少しも俺を休ませてくれないつもりかい?ここんとこ一連の騒動で、激しく傷ついた胸が、ようやく癒えてきたっていうのに。

・・・なんて、当てられてしまったものを今更文句言っても仕方ない。『できません』と逆ギレしたところで、『受験生としての自覚がない!』と怒られるだけだ。家に持ち帰っても忘れてやらない可能性大だから――受験生らしくない、というお叱りに対しては、この際耳を塞いでおこう、というよりも、名誉のために言っておくが・・・家ではちゃんとした受験対策をしてるから、宿題を忘れちゃうんだぞ、と――昼休み中にやっちゃおう・・・と、菓子パン片手に必死にシャープペンシルを走らせてるわけだ。午前中の疲れを少しでも癒そうと、談笑したり睡眠に勤しんだり、それぞれ思い思いに過ごしてるのに。ああ、僕の貴重な昼休みは、こうして勉学と共に過ぎ去っていくのだ・・・と、少し哲学っぽいこと考えながら、悲壮感漂わせてみたりして。


「・・・なんか、背中に哀愁漂ってるぞ」

「・・・ほっとけ」


 妙に笑いを含んだ田村の声も、ここはあえて相手にしないでおこう。奴を振り返ることなく、ノートとにらめっこしながら問題に没頭する。けれどそれで諦めるような田村じゃなく。相変わらずにやけた声――変な喩えだけど――で『昨日、どうだった?』なんて聞いてくる。何のことか分からなくて、『昨日は上々だった』と自分でも意味のわからない言葉を返してみるけど。


「何、牧野さんとそんなに良い感じだったの?」



 と返され、思わず顔を上げた。昼休み中につき不在の隣席に座る田村は、声と同じようににやけてて。その笑顔があまりにも意味深だったから・・・頭から血の気が引いて、指に力が入らなくなって、シャーペンを落とした。


「な、なな何のことかなぁ田村くん。べべ別に、僕は牧野サンと何もどうにもなってない・・・」

「いいって、ごまかさなくても。昨日お前がうちに来る約束を反故して、牧野さんと一緒にいたのは立証済みだ」


 何故なら、お前からかかってきた電話の後ろで、女の子のくしゃみが聞こえたからだ。という田村に、それが牧野サンのものかどうかはわからない!と反論してみたけど。


「あのね、俺はあのくしゃみを半年近く隣で聞いてるの。聞き分けくらいできるようになるって」


 と、どう足掻いても俺の負け必至・・・という口調で上から押さえつけられちゃったら・・・両手を挙げて降参するしかない?みたいな。恨めしそうな表情作って田村をじっとり睨んでやると、心底満足した表情浮かべて笑いやがった。でもここで『コトの詳細は、帰り道にしっかり聞いてやるよ』と引き下がってくれたのが、奴のせめてもの優しさだろう・・・と、思いたい。


「しかし、昼休み使って宿題終わらせるなんて・・・お前も相当やる気なんだな」


 腕組みしてうんうん・・・と頷く田村に、『そりゃそうだろ』と返す。宿題やってなくて大目玉食らって、またクラス全員に大量の宿題出されるなんて、金輪際御免だ。それ以前に、また同じこと繰り返したら・・・想像するだに恐ろしい。わかることはただひとつ。俺の命はないかもしれない・・・ってことだ。命を奪われるのもやだけど、俺、同じ過ち繰り返して、クラスのみんなに嫌われたくない・・・などと、ちょっと少女チックなコトも、少しだけ考えちゃったりしてるんだけど。

 ところが。田村の口から返ってきた言葉は『こりゃ、次の模試結果楽しみだな』なんて、想像もしてなかったことで・・・何、その模試って。そんなモノ、近々あったっけ・・・?と、首をかしげる。そんな俺の姿を見た田村は、何故かバケモノでも見るかのような視線を俺に投げかけた。


「何?」

「お前、まさか忘れてるとかいうわけ?」

「だから、何を?」

「・・・いや、いい。忘れてるんならそのほうが幸せかも・・・いや、結局自分で尻拭いしなきゃいけないんだから、早いトコ知っといたほうがいいっていうか・・・」

「お前の独り言、意味わかんないんだけど・・・」


 幸せとか尻拭いとか早いトコとか・・・その3つから何かを連想できるかと言えばそんなことはなく。俺の頭の中には、さっき以上にたくさんの『ハテナ』がいくつも浮かんでは消える。俺、何か忘れてること・・・・


「あっ!!」


 自分でも驚くほどの大音声。自分が驚くくらいだから、それが響いたクラス中はしかり・・・だ。目を丸くして俺を見る奴や、心底煩わしそうな表情で『草野うるさい』という奴。色んなリアクションの皆さまに・・・『すまん』と謝ってみた。いや、謝ってる場合じゃない。思い出しちゃったよ。来週の日曜日。


「お前・・・本気で忘れてたワケね」

「どうしよう、田村くん!!」


 どうしようも何もねぇよ・・・と、心底呆れた表情で溜息を吐かれたら・・・結構ショックじゃありません?本気で忘れてたよ、来週の日曜日、大学センター入試の、模擬試験。そりゃ、一応ある程度の勉強はしてるけどさ・・・よくよく考えたら、俺ってある意味センターの出来次第で、行く末の明暗が決まっちゃうんじゃないですか?ほら、俺って美大志望だから・・・もちろん、二次試験もあるけどさぁ・・・実技じゃん?でも、実技だったら俺より上手い奴、確実にいるわけじゃん?だったら、ここで点数稼がなきゃいけないわけですよ。それなのにそれなのに。俺ったらそんな事すっかり忘れて、フツーの勉強してた。センター試験って制限時間短いんだよ。英文とか古文とか、ゆっくり噛み砕いて理解してる時間なんてないんだよ。うわー・・・やられた。俺、時間内に全部解ききる自信ないよ・・・


「もしかして・・・しっかり対策とかしちゃってるわけ?」

「当たり前だろ。っつか、お前以外の奴は全員やってると思うけど」

「・・・マジで?」

「こんなところでウソついても仕方ないしな・・・ま。やってないのはお前とテツヤくらいじゃねーの?」


 よりによって、俺とテツヤかよ・・・なんか、ものすごーく暗い気分になってきちゃったんですけど。マジでー・・・と言いながら、肩が落ちていくのがわかる。ついでに声のトーンも。しかも、模試が終わると三者面談じゃない?それでもって、今回の模試の自己採点シートを親に見せなきゃいけないんだよね・・・


「・・・とりあえずまだ火曜日だし、普段から勉強してないんだったらヤバイけど・・・今からセンター対策に切り替えれば、少しは何とかなるんじゃないのか?」


 よっぽど落ち込んでると見えるのか、田村が横から優しいお言葉をかけてくださる。でもあんまり嬉しくない・・・もう一度大きく溜め息ついたら・・・今までどこかに行っていたんだろう、扉をガラリと開けて教室に入る直井の姿が目に入った。心なしかその表情は暗くて、今の俺みたいに溜め息なんか吐いちゃって。どうかしたのかな?なんて、自分のことを棚にあげて余計な心配してたら・・・がっつり奴と目が合った。その瞬間、泣きそうな表情に早変わり。え?俺、何かした?直井の顔見て、どうしたのかな・・・って思っただけなんですけど・・・

 わけもわからずおろおろする俺に向かって直井は真っ直ぐ歩いてきて、机の前でぴたりと足を止める。そして、田村とは反対側の昼休み中につき不在の隣席に座って、まさかのまさか、俺の右手を、両手でぎゅっと握った。この一連の動作には、俺も田村もびっくりで。振り払おうかと一瞬立ちかけたけど・・・直井の『草野助けろ!』という、悲壮感漂う声とは裏腹な命令口調に、イチもニもなく頷いちゃったのであった・・・





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