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「・・・」

「・・・・」

「・・・・・」


 予想もしないこの展開に、ものすごく気まずそうな表情を浮かべて、俺の横に座る妹と、やっぱり同じような表情を浮かべて、その場に立ち尽くす牧野サン。そして、驚いた勢いで思わず飛び上がっちゃった俺。・・・えーと、こういうのって、三竦み状態っていうのかな?それとも三つ巴?いやいや、三つ子の魂百まで・・・あー、慣用句とかコトワザとか、すげー苦手なんだよね。受験まであと5ヶ月しかないのに、全然ダメじゃん、俺。たしか国語って、二次試験の必須科目だったよな・・・って、それは全く関係なかった。失礼。・・・なんて、今のこの何とも言い難い状況とは全くかけ離れた、どうでもいいコトを考えちゃう俺って・・・もしかして、現実逃避気味?でも、よくよく考えてみたら、別に現実逃避する必要なんて全くないじゃないか。隣に座るのは血のつながった妹だし、目の前に立つ彼女は、一週間前に俺を振った子。付き合ってるのに他の女の子とこっそり会ってるって言うなら話は別だけど、やましいこともしていなければ、うろたえなきゃいけない理由なんて、これっぽっちもない。

 と、頭の片隅――冷静な判断ができる脳が、俺にも少しはあったらしい――では、慌てる必要はないってちゃんとわかっているんだけど・・・心臓がバクバク言って、頭の大部分がぐるぐる回って、体から大量にアドレナリンが分泌されて、意味もわからず暑くなってきちゃったのは、心がちゃんとついていってないから?


「あ・・・と、今日、どしたの?」


 このまま3人でだんまり決め込んで、この場に突っ立ってるわけにはいかない。とりあえず、この妙に気まずい沈黙は俺が破らなきゃ誰が破るんだよ・・・と妙な焦りを感じて、頭の中で必死に言葉を探したけど・・・コレってもしかして禁句だった?いやいや、全然フツーだよな。オッケーだよな?振ったとか振られたとか関係なく、クラスメイトが休んだ心配したって、全然おかしいことじゃないよな。それに、今日牧野サンが休んだのはホントに体調が悪かっただけで、昨日の出来事とは全く関係ないかもしれないし。頑張れ!俺。都合のいい妄想膨らませてるんじゃない!


「崎やんが、牧野サン休みとか言うから驚いた。今まで休んだことなかったから・・・」


 まるで言い訳するように、慌てて付け足す。あわあわと顔の前で両手を振る俺を見て、牧野サンはまた微妙な表情で笑った。いや、実際は笑ってないんだろうけど。いつも持ってるトートバッグをもう一度肩にかけなおして、川をちらりと見る。


「・・・ちょっと、体調悪かったから・・・」


 10月ももう終わろうとする、限りなく冬に近いこの季節。太陽はほとんど沈んじゃって、空は暗くなってきて、風はだいぶ冷たくなってきて。牧野サンの顔はよく見えないけど・・・それでも、す・・・と俺から視線を逸らして、俯いたのはわかった。声はいつもより小さくて、トーンもいつもよりずっと低くて。そういえば、元気で明るい牧野サンの声って、最近聞いてないなぁ・・・と、ふと思い出す。声だけじゃなく、見てるほうまで元気になっちゃうような笑顔も。最後にそれを見たのは・・・先週の日曜日。見事に振られた日だ。しかもこの室見川で。


「・・・草野くんは?今日も彼女とデート?」

「え?」

「羨ましいな、仲良さそうで。昨日も天神に一緒にいたでしょ?でも、びっくりしちゃったよ。草野くんに彼女がいるなんて、全然知らなかった。でもね、余計なことかもしれないけど心配しちゃった。先週の野球、彼女差し置いてあたしが行っちゃってよかったのかな?って」

「あの・・・」

「昨日、チラッとしか見てないけど・・・可愛い人だね・・・って、今となりにいるのにこんな言い方したら失礼だね。ごめん」


 わざと・・・としか思えない、どこか白々しい明るい声。でも、無理やり搾り出してるような苦しい声。何を言おうとしても、全く口を挟むスキを与えてくれなくて。・・・一体、何?牧野サン、何言ってるの?どうして、何も言わせてくれないの?


「あたし、昨日亜門と天神行ったんだけど、途中で気持ち悪くなっちゃって、草野くんとすれ違ってからすぐに家帰って寝てたの。ここんとこ、根詰めて勉強してたから、それが祟っちゃったのかな・・・でね、今日の朝も全然起き上がれなくて、授業料払ってるのに勿体無いな・・・って思ったけど、休んじゃった。でも、ずっと寝てたら昼から体調良くなって、でも学校行く気にはなれなかったから、図書館で勉強してたの。ショコがサボった時にいた図書館。あそこ広くて明るくて、感じ良かったから行ってみたいな・・・って思ってたんだ。そこから帰ってきたところ。今から家帰ってご飯食べて、明日の宿題やるの」


 言いたいことだけまくし立てて、じゃあ・・・と言って俺の横を通り過ぎようとする。・・・っていうかさ、ちょっと待ってよ。俺、全然意味わかんないんだけど。何でこんな不愉快な態度とられなきゃいけないわけ?俺、牧野サンに何かした?牧野サンからしてみれば『草野くんは彼女がいるのにあたしに好きって言った』とか『彼女いるくせにキスした』とか言いたいかもしれないけど、でもそれは誤解でしょ?昨日の状況も、どうしてそうなったのかっていう理由も、牧野サン何も知らないじゃん。俺、ホントに彼女いないし、牧野サンのこと好きなんだもん。キスだって、軽い気持ちでしたわけじゃないもん。・・・そりゃ、多少は『ドウミョウジ』に嫉妬して、思わず体が動いちゃった・・・って部分はあるけどさ、でも・・・チャンスがあったからなんとなくした、なんてことは断じてない。カミサマに誓える。それでも足りないっていうんなら、俺が幼稚園の時に死んじゃった、大好きなじいちゃんにだって誓える。


「・・・じゃあ、明日また、学校でね」


 少しだけ、震えた声。・・・あーっ!頭ん中ぐちゃぐちゃだ。声が震えるって、震えるって・・・泣いてるとしか思えないじゃんっ!なんで牧野サンが泣くのさ。泣きたいのはこっちの方だよ。振られて、誤解されて、不本意な言い方されて・・・なんで俺がそんな事言われなきゃいけないわけ?どうして俺が責められるの?マジで何もしてないっつーのっ

 胸がもやもや気持ち悪くなって、頭に血が上って、体がかーっと熱くなって、暗いはずの視界が少しずつ白くなってきたような気がして・・・もう、我慢限界かも。これ以上我慢したら絶対倒れる、俺、この場でバターン・・・って倒れる。


「・・・ちょっと待ってよ」


 気付いたら、通り過ぎようとしてた牧野サンの腕をぎゅっと掴んで、自分でもびっくりするような大きな声で叫んでた。一瞬我に返って、俺何してるんだろ・・・って思ったけど、薄暗い中に見えた、牧野サンの不安そうな不服そうな悲しそうな、とても一言では形容し難い表情を見て・・・一瞬取り戻した冷静さも、すぐに吹っ飛んだ。吹っ飛んだ・・・けれど、言葉が喉につかえてしまって、上手く声が出ない。


「・・・何?」







 先手をきったのは、牧野サンだった。どこか挑戦的な声で『彼女、見てるよ』と続ける。だから彼女じゃないってば。っつーか、傍観決め込んで見てるんじゃない!我が妹ながら、コレはムカつくな。首だけ振り返り、俺らのやり取りをじーっと見つめる妹に『先に帰れ』と無言のメッセージを送る。こいつがここにいたら、解ける誤解も解けない。それに『兄』として、女の子と繰り広げる言い争い――不本意ではあるけれど――を見られるのも嫌だし。その意図がわかったのかわからないのか、小さく首をかしげると、ベンチから立ち上がった。大きな声で『マリ』と呼ぶと、どこからともなく小さな泣き声が聞こえてきて、そのうち、白くて大きな体が闇夜に浮かび上がる。太い尻尾をバタバタ振って、妹におとなしく頭撫でられて。しばらくの間、しゃがみこんでそうしていた妹はふと立ち上がり、そして俺と牧野サンを見て言った。


「お兄ちゃん、あたし先に帰るね。日曜日は『彼氏』のふりしてくれてありがとう」


             
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