僕が初めて彼女に会ったのは、

桜が満開に咲き誇る、4月の初めのことだった 



花びら舞い落ちる桜の木の下で儚く微笑む彼女の、

どこか淋しげで諦めを称えた瞳を

僕はずっと忘れないだろう・・・・・




                                   スターゲイザー 作:ポンさま







 校長の話は嫌いだ。2年生は中弛みしないように、3年生は受験を念頭に置いて・・・なんて、当たり前のことを延々と話す。特に今日は入学式を含め、式が3回もあるのだ。入学式、始業式、新任・離任式と。話が長くなるのは目に見えて明らかだったけれど、まさかここまで長くなるなんて、一体誰に予想できたよ?しかも、この話はもう5度目ではないか。入学式や始業式、全校集会。集まるたびに同じような話を繰り返す校長に、反抗の意も含めて思い切りあくびして見せた。と言っても、段下から、学生に混ざって座る俺が何をしようが、どれだけ睨みつけようが、奴には何の効果もないだろう。案の定、一人悦には入り唾を飛ばしながら話す校長の口調は、今までと全く変わらない。目なんかうっとりしちゃって、もう完璧に自分の世界に入ってしまっているのだ。


「長くなるってのはある程度予想してたけどさ、まさかここまで長いとはな・・・」


 名簿というものの存在を全く無視し、隣に陣取った田村が、小さな声で囁く。奴もよほど退屈なのだろう、目を微かに潤ませながら、何度もあくびを繰り返す。終われ、終われ・・・と小さな声で呪文のように呟いている―――まるで、魔術のようで不気味なのだが。


「美人の新任教師が入ったとかで、妙に張り切ってんじゃないの?」


 この後行われる親任式・退任式と、各クラスの担任発表。生徒の集まる体育館の隅には、見慣れぬ教師陣。おっさんおばさんに混じって、一人初々しい女性がいる。お世辞にも綺麗とはいえない容姿だが・・・。俺がさっき言ったように、本当にこの人のせいで校長が張り切っているとしたら、ただのセクハラ野郎だ。『若い女性』と言うだけで浮き足立ってしまうなんて、教育者として最低である。


「でも、時々視線があっちに飛んでるぜ?」

「じゃあ、理由は新任教師ってことで」


 所詮は校長もただのオヤジだったってことで・・・と、笑いながら二人で完結。でも、完結しちゃったらやる事なくなっちゃって。また、あくびしながら延々と続く校長の話を聞く俺らに逆戻り。


「ところで、俺らのクラスに転校生が来るらしいぞ。さっき崎やんが他の教師と話してた」


 崎やんというのは、去年の担任だ。体育の教師で、それなのに音楽にものすごく詳しい。俺が洋楽に詳しくなったのも、自分で音楽をやり始めたのも、半分は彼の影響だと言える。若いだけあって、他の教師よりずっと頭が柔らかくて、俺らを対等に扱ってくれて。だから安心して甘えられるし、相談もできる。受験指導という意味では少し心配なところもあるが、それだけが高校3年生―――哀しき受験生に相応しい担任という訳ではない。彼が担任であって欲しいと、切に願う。


「転校生ね・・・珍しい」

「親の転勤とかだったらありえるだろ?どうしたって、親についてこなきゃいけないわけだし。 一人暮らししようなんざ、金銭的にも精神的にも無理だっつーの」

「でも3年だぜ?受験生だぜ?今からガッコ変わるのって、結構いたくねぇ?」


 突然、右も左も分からない世界に投げ込まれるのだ。生活に慣れるのに精一杯で、もしかしたら受験勉強に全然身が入らないかも知れないのに。


「じゃあお前、親父さんの仕事で本州に転勤っつっても、1人で福岡に残る? 全部自分で家事やんなきゃいけないんだぜ?」

 暫く考えて、静かに首を振った。考えるだに恐ろしい。1人でメシ作って、皿洗って、掃除して、洗濯して・・・俺にできるか?というか、健全な17歳男子にこなせる仕事か?


「だろ?俺だって無理だもん」


 所詮、俺らはまだ甘えたい年頃なわけよ・・・と、一人勝手に自己完結する田村を尻目に、俺は体育館中に視線を走らせた。何故かって?その転校生を探すため以外に、どんな理由がある?朝のクラス発表後に教室へ入った時には、それらしき人影はなかった。ということは、体育館の隅で、教師と一緒に始業式に参加している可能性が高い。


「おいおい、どうせ教室行けば会えるんだからさ・・・子供みたいにきょろきょろすんなよ」


 恥ずかしいぞ・・・とからかい口調で言うが、仕方ない。俺は新しい物が好きなのだ。特に、たるみきった高校生活の中で、『転校生』などという滅多にないレアなアイテムが登場してしまったら、もう『気にするな』と言うほうが不可能である。今そのアイテムに目を向けなければ、田村は一体いつ、それに目を向けろというつもりなのだろうか。


「今転校生見つけておけば、教室行ってから余計な体力使わなくて済むだろ?」


もし、転校生が俺好みの可愛い子だったら、今からきっと浮き足立つに違いない。教室に行ってから彼女に会えると思うだけで、この校長の話も我慢できるだろう。それに転校生が俺の許容範囲外の女の子や野郎だった場合も、教室に帰ってから妙な失望感を覚えなくて済む。ここでドキドキする分の体力が無駄だ。


「・・・そこまで考える能力があるんだったら、受験勉強に回せって、崎やんに言われるぜ?」

「言わせとけ」


隈なくぐるぐると体育館中を眺め回したけれど、残念ながらそれらしき人影を見つけることが出来ぬまま、校長の話は終わった。ほっとすると同時に、腕時計を確かめる。約45分。今までの最長記録ではないだろうか。
 




2



「担任、今年も崎やんだったな」

「俺は嬉しいけど、田村はやなの?」

「いや、嬉しいけどさ」


体育館からの帰り道、だらだらと廊下を歩く男子学生2名。あれから―――校長の話が終わってから、引き続いて各クラスの担任発表、離任式・新任式と続いた。その間中体育館の床に座らされっぱなしだった俺たちは、もう体がちがちである。腰は痛いし背筋は固まったし、あぐら掻いて頬杖ついて。そこまで姿勢崩してたら、担任紹介で壇上にあがった崎やんに、思い切り睨まれた。とりあえず、睨んでくれたお礼にピースサイン送っておいたけど。


「ねね、それより転校生って男だと思う?女だと思う?」


「・・・お前、まだそんなこと気にしてたの?どうせ教室行って、崎やんが来ればわかることじゃん」


 相変わらず物好きだね・・・と鼻で笑う田村の後ろ腿を、軽く蹴り飛ばした。奴は恨めしそうに俺を睨んだけど、それは自業自得ってやつだろ?人を馬鹿にすると天罰が下るって、小学生の時に習わなかったか?


「転校生云々よりも、お前進路のこと考えろよ。何だかんだ言って受験生だぜ?俺ら」

「お前に言われなくたって考えてるよ。進学先も将来のビジョンもばっちり」


 半分は本当、半分は嘘。東京の芸大行って美術やりたい・・・って気持ちはあるけど、
その先何になりたいか・・・なんてわからない。アーティストになりたいわけじゃないし、音楽だって続けたい。自分の中で確立しているのは『東京へ出たい』って気持ちだけで、他は全然あやふやなんだよね。まあ、まだ4月だし。夏休みくらいまでは考える期間にしてもいいと思ってるけど。


「やっぱり東京行くの?」

「そのつもり」

「そうかー、これで草野ともお別れかー」


毎日一緒にいると飽きるけど、これで会えなくなると思うと淋しいかもなー・・・なんて遠い目をする田村の、今度は背中をバシッと叩いた。今生の別れでもあるまい。しかも、お別れするのはまだ1年先の話だ。気が早すぎる。


「なんにしても、この1年間は今までみたいに気楽には過ごせないよな」

「・・・一応受験生だしな」

「・・・文化祭の有志参加も、今年は無理かな?」

「いや、それは絶対参加する」

「今までの会話、無駄じゃんかよっ!」



 今度は俺が田村に頭をごつかれた。






 俺らが教室に着いたときには、既に全員席に着いていた。その上崎やんまで来ていて、『新学期そうそう良い度胸だな』って不気味な顔で笑われた。・・・おかしいな。遠回りしてきたつもりも、ゆっくり歩いてきたつもりもないだけどな。


「始業式ではあぐら掻きながらあくびして、最初のホームルームに遅刻する。 次は何だ?逆立ちで教室1周するか?」


 クラス中が小さく笑う中、平然と『遠慮しておきます』と答える。その態度があまりにも堂々と―――飄々としていたからなのか、崎やんまで苦笑しだす始末。


「今から順番に自己紹介させるところだ。丁度いいからお前ら最初にやれ」

「はーい」


 まるで小学生のような返事をして、教卓の前に立つ。黒板に名前書こうかと思ったけど、流石にやめた。崎やんにまた怒られそうだったから。




「2年7組から来ました、草野です。趣味は音楽と妄想です。 今年の文化祭も有志で参加する予定なので、皆さん応援してください。 ちなみに去年のバンド名はキャロットでしたが、今年はラディッシュでいくつもりです」

「同じく2年7組出身の田村です。後は草野と以下同文です」


 2人でそろって深々と頭を下げれば、何故かクラスは大喝采の渦。これで俺らの位置付けは決定か?お笑い路線まっしぐらだ。―――自分たちには、そんなつもり全くないのに。・・・いや、ちょっとは狙ってたけどさ。

 席に戻って、出席番号順の自己紹介を聞く。これって不思議なもんだよな。自分の番が来るまではドキドキしちゃって他の奴の言葉なんて耳に入らないのに、自分の番が終わると妙にリラックスしちゃって、余計に他人の言葉が聞こえない。こんなことだからクラスのメンバーの名前と顔が一致するまでに1ヶ月も2ヶ月もかかるんだよな。今回もそれは例外じゃなくて、最初に自分の番が終わっちゃえばあとはもうどうでもよくて。足ぶらぶらさせながら、だらしなく椅子に座ってぼんやりするだけ。可愛い女の子はいないかな・・・なんて一通り教室中に視線を走らせて、そしてある一点で止まった。


「・・・・・?」


 体の大きい崎やんの陰に隠れていて気付かなかったけど、1人、女の子が立っているではないか。これが田村の噂してた『転校生』か?やっぱり崎やんが邪魔で顔が全然見えないけど、なんだか不思議な制服を着ている。クリーム色のブレザーに、茶のスカート。可愛い・・・といえば可愛いかもしれないし、奇妙・・・といえば奇妙かもしれない。見る人によって印象の変わる、よく言えば個性的な、悪く言えば奇抜なそれに、俺の口はあんぐり。一体どこからの転校生だよ?絶対福岡じゃないよな。やっぱ、田村の言ってた『親の転勤』説が有力か?


「全員終わったな?最後に牧野、お前も自己紹介しろ」


 崎やんが、後ろに立っていた女子生徒を促す。やっとお目見えだ。彼女は教卓の前に立つと、大きく一礼をする。上げた顔は・・・結構俺好みかも。美人・・・って訳じゃないけど、整った顔立ちしてる。それなりに背高いし、華奢だし。言ってみれば、もう少し胸があれば?でも別に俺彼氏じゃないし、牧野サンの胸があろうがなかろうがたいした問題じゃない。・・・今のところは。


「東京から来ました。牧野つくしです。宜しくお願いします」


・・・いいねぇ。声も可愛いじゃん。でも、それより何より俺が惹かれたのは・・・彼女の目だったりする。いや、惹かれた、というのは間違いかもしれない。気になった・・・の方が正確か?妙に意志の強そうな視線をしてるのに、その目はどこか暗くかすんでいるような気がして。福岡に来るために、色々辛い思いしたのかな・・・なんて考え出したら、ほら始まった。俺の、ある意味悪い癖。考え出したら止まらないの。想像を越えた妄想。彼女が東京を離れる時の光景なんか頭の中に浮かんできちゃってさ。その後の崎やんの自己紹介と話なんて、全然耳に入らなかったね。


「草野、お前俺の話聞いてたか?」


 そう言われ、思わず首を振った俺のこめかみを、崎やんは思い切り拳でぐりぐりやった。







「転校生ネタに、新学期早々あれだもんな。草野くん、君はえらいよ」


 帰り道、ちょうど満開に咲き誇る桜並木の下を、田村と二人並んで歩く。でも、ちょっとかっこ悪いよな。隣にいるのが女の子―――もちろん、俺好みの子―――だったらどれだけ嬉しいか。 全校生徒が一斉に下校するこの時間、歩道は城南高校の学生で一杯だ。前歩くやつ、もっときびきび歩け・・・とか、隣をすり抜けていった女子、人に鞄ぶつけてくな・・・とか、結構歩きにくくて。崎やんでもからかって、もう少し遅く学校を出れば良かった・・・なんて今さら思ったり。


「明日から実力テスト始まるし、景気つけにラーメンでも食いに行かねぇ・・・って草野!」


 田村が耳元で怒鳴るのも無理はなくて。少し前―――5歩くらい?―――を歩くのは、クリーム色のブレザーを着た、麗しの転校生。彼女の後姿を見るだけで、さっきまでの妄想が蘇えってくるから、もうそれは大変。


「・・・ラーメンはまた次の機会にでもご一緒するよ。じゃあ田村くん、アディユー」


 待てよ・・・と呼び止める声も無視して、人ごみを掻き分け、彼女の後を追う。―――と言っても、たった5人分なのだが。


「牧野サン」


 小さく深呼吸してその名を呼ぶと、少しだけ肩をぴくっとさせて、恐る恐る彼女が振り返る。でも、俺の顔見て、ちょっと安心した表情を浮かべたっけ。それが少し嬉しかった。


「確か・・・草野くんだよね?」


 お?なんて幸運。初日に名前を覚えていただけるなんて。・・・とまあ、別に覚えてなくてもいいんだけどさ。


「そうそう、草野。草野正宗っての。クラスじゃフルネームで自己紹介しなかったからね」


 そうしなかったのにもきちんと理由があって。正直自分の名前は好きじゃない。どこか古臭い感じがするのだ。しかも、先祖代々長男の名前には『正』の字をつける・・・なんてさ。ガチガチの固定概念。俺が大人になる頃には壊してしまいたい・・・なんて、今は思ってるけど。


「マサムネくんか・・・かっこいい名前だね」


 いきなり。下の名前で呼ばれて、俺の小さなガラスのハートはひびが入りそうな程に大きく跳ねた。嫌いだったはずの自分の名前、なんだか妙に色っぽくない?なんか、ちょっとよくない?これから、女の子には名前で呼んでもらおうかな・・・なんて、バカな妄想が始まる。けれど。


「牧野サン、東京から来たんだよね?」


 相手が田村なら、いくらでも妄想していられるけどさ、牧野サンだぜ?麗しの転校生だぜ?初めから、妙な妄想癖見せ付けて、下手に警戒されるのもバカバカしいし。必死で頭振って、妄想を振り切った。


「来年、東京に進学したいと思ってるんだ。 もし良かったら、東京の話色々聞かせて欲しいな・・・と思って」


 そう、彼女に興味を持ったのはそんな理由もあった。まったく未知の世界―――雑誌やテレビで、ある程度の情報は仕入れられるけどさ―――へ踏み込むよりも、実際にそこにいた人の話とか、聞いてみたいじゃん。特に彼女は同い年だし、より有益な情報が得られると信じて。


「東京か・・・・・そうだね・・・」


 その時、強い春風に吹かれ、桜の花びらが舞った。目の前に突然広がる、淡い桜色の景色。美しくて儚くて、思わず足を止めた。もちろん、隣にいた彼女も。


「・・・・・すげ・・・・」


 偶然足を止めたのは、この並木道の中でも一、二を争うほど満開に咲く桜。上を見上げれば、舞い落ちる桜。くるくる回りながら、ふわふわと浮きながら。まるで命を吹き込まれたかのように優雅に踊る桜。


「・・・東京はね・・・」


小さな彼女の声に、ふと我に変える。同じように桜を見上げていた牧野サンが、ゆっくりと振り返る。






「東京は・・・淋しい街だよ」


そう呟いた彼女の笑顔は、この桜と同じくらい儚いものだと思った。










                              next→







                                   MIDI*ポンちゃん