SKY GARDEN
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Scene5
*****
いろんなところが痛くて。
さっき打ったばかりの膝や、慣れないピンヒールに擦られ続けたくるぶしの後ろ。
そして、一番痛い胸の奥。
重そうなドアは、強い風の所為であたしの全体重をかけないとちっとも開いてはくれなかった。
こんなほそっこいヒールじゃ、体重もかけれやしない…。
恨めしげに足元を睨むと、あたしは舌打ちをしながら靴を脱いだ。
ひんやりとした床が気持ちいい。
今まで踵がずいぶん持ち上がってた分、ぺったりとしたリノリウムの床が吸い付くように感じた。
靴の踵のストラップを右手で、行き場所のなくなったファイルは左腕にまとめて持つと
せーの、と思い切り屋上への扉に体重をかけた。
いかにも、重そうな音だ。
ギリギリとした、鉄が軋む音と共にゆっくりと明りが差し込む。
こんな春先にはありがちな天気で。
風が強いくせにお日様はめいいっぱい元気らしい。
あたしはこんなに最低な気分なのに。
楽しげに燦燦と輝く相手を睨んでみるけど、まぶしくて数秒ももたなかった。
ソロソロと裸足のまま屋上のコンクリートへと足を踏み出す。
つるつるの床から、ざらざらのコンクリート。
まるで、あたしの心境のようだ。
ヘリポートにもなってる屋上。
あたしの足の先には、大きなHのマーク。
わざとHの真ん中に、大の字に寝っころがってみた。
ばさばさと、書類が風に揺さぶられてる音がする。
あぁ、もうめんどくさい。
いいや、こんなの。
空に向かって書類を投げつけてみると、そのまま風に乗ってあたしの頭上をくるくる舞っていた。
作成者の意図なんか、ちっともわかってないんだろうな。
太陽に引き続き楽しそうなそれが、なんだか疎ましく思う。
「あーあ。あたしも、空飛べたらなぁ」
無意識に口に出してた。
べつに強く願ったわけじゃなく、なんとなく思っただけだけど。
こんなに風が強いと、実際飛べそうだ、と─────。
「……数十秒だったら、飛べるかもね」
突然真上から聞こえた声に、あたしは固まる。
丁度逆光ではっきりは見えないのだけど、キラキラと金に輝く細い髪が、ふわりと風で持ち上げられてた。
細身のスーツはいかにも高そうなディオールのもので。スラックスに親指を引っ掛け、屈むように覗きこまれる。
まず最初に思ったのは、まずい、ってこと。
だって今は、十分に就業時間中。
オマケに、もう要らなくなったといっても書類を飛ばしてしまった。
「けど、その後はアスファルトとキスするはめになるけどね」
慌てて起き上がったあたしは、声の持ち主を見てますます固まった。
……専務じゃない!!
薄茶の髪に、淡いグリーンの瞳。
花沢物産の社長の息子。
……年はいくらか下だったはず。
花沢ケイ、たしかそんな名前だった。
ユウコが騒いでたもん、かっこいいって。
隠し撮りした画像を見せてもらったこともある。
はしゃいでるユウコの顔が浮かんで、あたしは再び落ち込んだ。
がっくりとうな垂れるあたしを訝しがるわけでもなく
首から下がってる社員証を眺めると、専務はにっこりと笑った。
「うちの会社?」
「あ、は、ハイ。そうです。すみません、こんなところでサボってて……」
頭を下げると、自分のストッキングだけのつま先が目に入り顔が赤く染まる。
慌てて靴を探すけど。
さっき寝っころがった時に、すっ飛ばしてしまった。
申し訳なさそうに、違う方向を向いてる靴がなんだか情けなかった。
恐る恐る顔を上げると、専務は不機嫌そうな顔をしてる。
「それって、イヤミ?」
「え?」
「『こんなところでサボってて』って。キミがサボってるってことは、俺もサボってるてことでしょうが」
「休憩中って言ってよ、休憩中って」と、ブツブツ呟いてる。
あたしに取っちゃ、平でペーペーのあたしが、ここにいるのが問題であって……。
専務がサボってる分には何の問題もないと思うんだけど。
言い訳しようにも、専務はあたしの横にストンと腰を下ろすとゆっくりと後ろに手をつき
忌々しいさわやか過ぎる太陽に向かって、悠々と空を仰いでいる。
「あー。気持ちいいよね。こんな日に仕事なんて、もったいない。キミも座れば?」
風が強い所為か、雲の流れも早くて、
専務の顔に幾つもの影が、通りすぎてる。
それでも瞼を下ろしたまま空を見上げてる専務。
あまりの無邪気さに、あたしもつられて腰を下ろしてしまった。
けど、なにを話せばいいのか。
「空、飛びたいんだ?」
バカにしたように、クククッと笑いを堪えながらこちらを向いた専務を見て、腹が立ってきた。
ムッとして、見つめ返すと何事もなかったように再び空を仰いでる隣の人。
いくら上司だからって。なんでバカにされないといけない!?
サボってた…もとい、勝手に休憩してたのは悪かったけど…。
笑われる覚えはない!
抗議をしようと、息を吸うけど…。
それはあまりにもキレイな整った顔に、ため息としてしか出てこなかった。
チラチラと専務の横顔を盗み見ながら、思う。
こんな完璧な人が、世の中にいるんだ。
容姿も、能力も…家柄も文句なしで。
世の中のすべてを味方につけてるみたいだ。
友人に裏切られて、メソメソしてるあたしとは正反対だ。
こんなささくれ立ってる時は、目の前の幸せそうな人に、八つ当たりをしたくなる。
「飛べるもんなら、飛んでみたいです。専務、飛ばせてくれますか?」
意地悪な言い方だったかもしれない。けど。
こんなとこから抜け出して。
階段を駆け上がって打った膝も。ちっとも慣れないヒールの靴も。唯一、友達だと思ってたユウコのセリフも。
何もかもを忘れて、飛んでみたい。
『ちょっといい大学でてるからって、何でも出来るみたいな顔されるのムカツクのよね』
『アハハ、ナニサマ?って感じだよね』
『少しくらい顔がいいからってさ、ちやほやされるのが当たり前って顔して、おかしいんじゃないの?』
『今、なんかシミュレーションテキスト作ってくれてるんだって、あたしの為に。いらねーっつーの』
給湯室から聞こえた会話。
あたしの悪口のオンパレード。
そんな風に思ってたの?
大学なんて関係ないじゃない。
何でもできる?
当たり前じゃない、あたしはそうなるために努力してきたのよ。
あんたたちが、笑って合コンの計画してるときに
必死に、勉強してきたのよ。
その分、当然の結果でしょう?
こんな悪口、女子高で育ってきたあたしは慣れてたことだけど。
小学校から高校まで一緒の、ユウコに言われたことがショックだった。
けど。
まったく関係のない専務に八つ当たりしてるあたしも、ユウコと一緒だ。
情けなくて、泣きそうになる。
「目、つぶって」
専務は、唇を噛むあたしをゆっくりと立たせると静かに囁いた。
されるがままのあたし。
だって、泣きそう。
「ゆっくり、深呼吸してごらん」
「眉間に皺よせない」
「足は肩幅」
色々注文を付けられたけど、素直にその通りにする。
ばさばさと、スカートがたなびく音がする。
そのうち、車のクラクションだとか。
かさかさと、葉が揺れる音だとか。
遠くに聞こえだして………
瞬間的に、無音になる。
ぎゅっと力を込めてた拳をゆっくりと開くと、瞼を落としたまま空を仰いだ。
さっきまで気に食わなかった太陽が、申し訳なさそうにあたしをゆっくりと暖めてくれる。
真正面から受けている風が、体を包んでくれて。
あぁ、飛んでるみたい、って思った。
さっきまで、耳障りだった風の音さえも消えて。
生暖かい風を全身で受けている。
「……専務、飛んでるみたいです」
素直に口にしてみる。
「でしょ?」
満足げな声が聞こえた。
きっと、表情も声と同じだろう。
美しいという単語が似合う青年は、子供のような自慢げな顔をしているのが想像できた。
そんな専務も見て見たいな、ってなことも思ったのだけど。
あたしはこの感覚から逃れたくなくて、目を開けられなかった。
瞬間、何かが口唇に触れた。
柔らかく、優しい何か。
久しく感じてない、感触。
けど、どこかで感じたことのある……
ここまで考えて、あたしは思わず口唇を押さえる。
もちろん、しっかりと瞼を持ち上げてギロリと専務を睨んで。
「な、なななな何するのよ〜〜〜〜!!!」
「アハハ、だってアスファルトとするよりいいでしょ?いいこと教えてあげたんだもん、御褒美くらいもらってもいいって思わない?」
ちっとも悪びれてない専務は、いつの間にかあたしの細いヒールの靴を目の前に揃えていてくれて。
ドウゾ、と差し出された。
いきなりキスされたことに対する専務への怒りと、油断してた自分への怒り。
真っ赤になったり、アタフタしてるあたしをよそに、専務はヒラヒラと手を振ると
「みんなにしてるわけじゃ、ないからね」と、重いはずのドアを軽々と開けてくれて。
「レディーファーストって、教えられたんで…どうぞ」と、あたしを暗い階段へと誘う。
この先には、ねたみや僻みの戦場が待ってるけど。
きっとあたしは、また戦える。
単純だけど、そう思ったの。
細いストラップを踵に掛ける。
擦れた踵には辛かったけど。
空の飛び方を教わったのだ。
コレくらいの代償は平気だ。
ぽかぽかとした自分の腕を抱くと、さっきまでは忌々しかった太陽がなんだか優しいものに思えた。
自分の事ながら、単純だと思ったけど。
思わせてくれた、扉を開けてくれた人。
踊り場で、徐々に細くなる光の線を残念に思ったのは
もう太陽に暖めてもらうことが、できなくなったから?
それとも
二人の時間が終わってしまうからだったのだろうか────。
2006,1,27 momota