SKY GARDEN
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Scene4
*****
「ケイ、おいで」
珍しく、家にいるパパが僕を呼ぶ。
僕はおずおずと、パパの近くに寄るけれど……
久しぶりの父親がいる感覚に、なんだかいつものリズムが崩れがちだ。
けど、それは今日が特別な日だから、ってのもあるのかもしれない。
「さ。座って座って。あたし、張り切って作ったんだから」
ママは腕まくりをしながら、両手いっぱいのそれをテーブルの上にトンと置く。
途端に広がる、甘い香り。
「わーーー。すごいですねー」
思わず感嘆の声をあげた僕に、パパとママは顔を見合わせて微笑んだ。
だって、ほんとにすごかったんだ。
僕と同じくらいの大きさの長方形のクリスマスケーキ。
柔らかそうなスポンジの上に、たっぷりの生クリーム。
イチゴや葡萄、オレンジに桃、キウイにメロン。
いろんなフルーツの間を、申し訳なさそうにサンタやトナカイが座っている。
「これ、マ……おかーさまがつくったんでしゅか!」
鼻の先が、クリームにくっつきそうなくらい近よってみる。
すると、もっと甘い香りが広がってゴクリと喉がなった。
そんな僕に視線を合わせるように、テーブルに顔を載せたママは僕の髪をクシャリと撫でた。
「ケイ……。パパとママとケイの三人のときは、ママって呼んでいいんだよ」
不思議そうに顔をあげた僕を、ママはぎゅっと抱きしめてくれた。
そんなママから香る香りは、いつもの柔らかい安心する香りじゃなくて
目の前のケーキと同じ匂いがして、僕は鼻をくんくんさせた。
「……ママ、いいにおいがします」
柔らかく笑うパパにつられて、いつもは禁止されてる「ママ」と呼んでみた。
久しぶりの「ママ」に…、当の本人のママは、満足げに嬉しそうな顔で頷いてる。
いつからか、パパはおとうさまに。ママはおかあさまに。
呼び名が変わった。
数ヶ月前から始まった、ピアノ、バイオリン、英語、お茶のおけいこ。
お茶のおけいこは、パパのお友達の「西門さん」が教えてくれて、美作おじさんちのゆういやとういと一緒なので楽しかったけど。
ほかは、ちっとも楽しくない。
けど、上手にピアノやバイオリンが弾けたりすると、おじいさまやおばあさまが喜んでくれるから。
もっと上手になったら、ママも喜んでくれるかな?ってがんばってるんだけど。
ママはちっとも喜んでくれなくて。
むしろ、「イヤなこと無理にしなくていいんだよ。イヤだったらイヤっていっていいんだよ」って。
「ケイの好きなようにしていいんだよ」って。
でもね。僕、ほんとは知ってるんだ。
初めて、ピアノのおけいこがイヤだって言った日。
ママは嬉しそうに、僕を公園に連れってくれた。
見たこともない遊具に、僕は真っ黒になるまで遊んだんだ。
喉が渇くと、ママがこんびにって言うところでお水を買ってくれて。
すっごく冷たくて、おいしかったな。
けど。
どんなに僕が楽しかったか。
どんなに僕が嬉しかったかを説明しても……
ママは僕の面倒を見てくれてる岡田さんに、たっぷりと怒られた。
「まだ4歳にもならないんですよ」とか「勉強よりも大事なこと」とか。
ママの声が聞こえたけど。
なんでも、僕は『花沢の跡取り』で。
『これが当たり前の世界』にいるから仕方がないんだそうだ。
僕にはちっともわからなかったけど、ママが寂しそうにしてるのだけはわかった。
僕と視線が合うと、「怒られちゃった」って笑ったけど。
ホントに笑ってないことくらい、子供の僕にでも分かっちゃったんだ。
だから、僕はママに二度とこんな顔させないように
ピアノも、バイオリンも、英語も、お茶も。
一生懸命がんばるんだ。
ちゃんと「おかーさま」って言うんだ。
ちゃんと「おとーさま」って。
けど、呼び名が変わると、今までの関係までもが引き剥がされるようで。
なんだか寂しかったんだ。
だから、ママ、パパ、と呼べる今がすごく嬉しかった。
「…ママ。これ、僕が食べてもいいんでしゅか?」
「もちろん。ママ、ケイのために作ったんだから!」
「ちょっと。俺の分は入ってないわけ?」
相変わらず子供のようなパパは、ママに小突かれてた。
「はい。じゃ、ろうそく消して」
その言葉に、僕はケーキをまじまじと見つめた。
ホントだ。フルーツに埋もれるように、ろうそくが4つ並んでた。
「はっぴば〜すで〜け〜い〜」
パチリ、と部屋の電気が消えた。ふんわりとケーキの回りに明りが漂う。
突然聞こえた歌声に、ケーキに見入っていたぼくはびっくりしてママを見上げると
ママも恥ずかしそうに、笑った。
「ケイ、おめでとう〜。4さいだね。そんで、メリークリスマスだ!」
パチパチと、両手を合わせながら、ろうそくを消せと促すママ。
ぼくは、ゆっくりとろうそくを吹き消す。
なんだか、照れくさい。
一瞬すべてを闇に飲み込まれたあと、再びパチリと電気がついた。
「ハイ!花沢ケイくん、4歳になりました。なにか欲しいものはありますか?お願いごとでもいいわよ?」
ママがふざけて、右の手をマイクに見立てて僕に近づけた。
僕はそれをそっと握って
「……僕は、パパとママのことを…ずっとパパとママって呼びたいです」
何も欲しくなかった。
ただ、素直に、今思ったことを言っただけ。
瞬きすらも忘れたママ。ピクリともせず、僕に手を握られたまま。
まるで電池が切れてしまったように動きを止めたママを、僕はそっと覗き込むと
ママの頬に幾つもの光る筋が出来ていた。
「マ、ママ?」
したしたと、終わりのない光の筋は僕を驚かせるのに充分で。
いつもは零れるような笑顔しか見せない分、僕を不安の波に飲み込ませた。
なぜ、目の前の大事な人は泣いているのだろう。
疑問だけが、ぐるぐると頭を巡る。
僕が泣くのは、悲しいとき。
それと、痛いときだ。
とすると…ママは、悲しいもしくは痛い思いをしているのだろうか。
そのとき、僕の顔の横から腕が伸びてきて。
ママの頬の涙をゆっくりと拭った。
途端、ママはぱちりと瞬きをする。
それはママの瞳に生気戻らせた。
ゆるゆると崩れる、口元。
嗚咽を我慢しているかのような、泣き声。
口唇にも幾つもの、涙の跡。
それすらもゆっくりと拭う、優しい指先。
ママは悲しいような。嬉しいような表情をして
僕の上を飛び越えた。
パパに抱きしめてもらうために。
ママの背中を優しく撫でながら、パパは僕に言う。
「おじーさまや、おばーさまもおまえが大事だってこと、分かるよね?」
パパの声は、とても優しい。
コクリと頷く。
「パパや、ママもおまえが一番大事だ。ただ、大事に思ってる表現の仕方が違うんだよ。言ってること、分かるか?」
僕はパパの言ってることの半分くらいしか、理解できなくて。
ほんの少し、首を傾げた。
「今、おまえがしているおけいこは、将来大事な人を守るために必要なことの最初の一歩なんだよ」
パパは、ふとママを抱き寄せた。
「けど、ママはまだケイには早いと思ってる。パパもそう思う。親父のやつ、俺んときで懲りたはずなのに。ケイにまで捻くれた幼少期送らせる気かよ……」
ブツブツと呟くような最後のほうは、ママに言ってるみたいだった。
「だから、いいんだ。おまえが好きなように呼べば。俺もつくしも、おまえのパパとママなんだから。ママも言ってたろ?」
僕は、未だパパに抱きとめてもらってるママの背中を見た。
もう震えてはいなかったけども、小さな背中。
「で、でも。……今も僕が好きなことを言ったら…ママは泣いてしまいました。僕はママを泣かしたくないです」
ココまで言うと、堪えていた涙が溢れてきてしまった。
笑顔しか見たことなかった人の、涙。
愛しさが溢れそうなほどの、指先。
その指先と触れ合っている、小さな背中。
それはどれも僕の心に、あまずっぱい感情を残していて。
僕はその感情の逃し方を、泣くという手段でしか表現できなかった。
「なんでこううちの家族はみんな、泣き虫なんだよ」
パパは諦めたように呟くと、僕に向かってあいてる左手を差し出した。
これは、来いってこと?
僕は泣きながら、一歩を踏み出す。
ゆっくりと差し出された左手に向かって、腕を差し出すとグイと引かれそのまま抱き上げられた。
細めに見えるパパだけど。
実際はそうでもなくて、僕とママをしっかりと抱き上げてしまった。
「つくしも、がんばりすぎなんだよ。俺に言えっていつも言ってるでしょ?」
「だ、だって……類はいつも、…忙しそうだし……類の仕事を手伝えない分、ケイのことはあたしが…って思うじゃない。普通」
「ケイは俺の子でもあるんだけど……。それとも、違うの?…いてっ」
ガツンとした振動と共に、パパの声が消えた。
僕は、振動の原因を探ろうと顔を上げたけど。
顔をしかめるパパしかいなくて。
ちっともわからなかった。
「ケイも。あんた子供のくせにいろいろ考えすぎ。子供らしく『嫌なものはイヤ』と言いなさい。それと。俺がいないときは大好きなママに甘えていなさい」
「……パパがいるときは、ダメなの?」
「そ。ダメ。つくしは基本的に俺のものだから」
再び、ガツンとした振動。
そして今度もパパの声が途切れる。
おや?と思って顔を上げると、ゆっくりとパパの瞳が閉じられるところで。
睫が優しく落ちるのを僕は不思議と穏やかな気持ちで見てた。
遠い昔に、何度も見たことのある風景のような感覚に、戸惑いながら。
ママの背中にあったパパの指先が、いつの間にかママの項に置かれていて。
ゆっくりとパパとママの口唇が重なった。
僕は泣いてるフリと、気づいてないフリ。
両方しなくちゃいけなくなった。
……僕の誕生日なのに。
次の日。
僕は、おけいこがいやだと岡田さんの前で大暴れをしてみた。
岡田さんは、いつも大人しい僕が急に暴れたのですごく驚いてたみたい。
慌てて、パパとママを呼びに行ったら…。
パパとママはなぜか嬉しそうな顔をしたそうだ。
それから。
僕のおけいこは、お茶だけになった。
1週間に1度のおけいこが今では楽しみで楽しみで。
「ママーーー!いってきます!」
大きな声で言うと、「西門さんによろしくね!」って、僕の大好きな笑顔で手を振るママがいた。
この笑顔を守るための、最初の一歩。
パパもママを守るために、お茶や、えいごのおけいこをやったのだろうか、なんて考えた。
おしまい
2005,12,26 momota