SKY GARDEN
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Scene10
*****
足元に転がる、まるで線で出来てるかのような華奢なミュール。
こんな頼りなげなものに、私の全体重をかけてるのかと思うと、なんだか申し訳なくなってくる。
歩けば歩くほど、減ってくるヒールの先。
硬いざらざらとしたアスファルトに削られて、ぎざぎざになった細い先端に触れてみる。
ちくりとした軽い痛みが走る指先が、なんだか切ない。
ヒールの先端を何度も行き来していた指を、慌てて引っ込めた。
ザラザラとした感触は、まるであたしの心境そのもので。
ささくれ立ってるそれは、人に不快感しか与えないんじゃないか、なんて思ったの。
優しくしてあげたい相手にさえ、ざらりと触れる――――。
それだけは避けたいと、わかってはいるのに。
「優しくしてあげたい相手」でふと浮かんだ、常識ハズレの上司の顔を慌てて否定した。
違う!違う違うって!
なぜ、彼が思い浮かぶの。
こんなところで立ち往生している原因が、仕事上のことだから、と自分自身に言い聞かせてみるも…
子供のような言い訳に思える。
歩道のガードレールに体重をかけ、深いため息をつく。
道行く人は、自分の事以外にちっとも関心がないのか
人波の列から、不意に外れる人がいても見向きもしない。
それはそれで、ラクチンなのだけど。
さて。この状況はどうしようか、と。
今度は違ったため息を零す。
あたしの右手には、根元からポッキリ折れてしまったヒールが残る、ミュール。
けして、あたしの体重の所為だけだとは思わない。
ちょうど出掛けに同僚とトラブってしまって、不貞腐れてた。
それが歩き方に、出てたんだと…思う。
このまま、しばらくここにいようかな。
幸い、お昼を取ってから…と思っていたクライアントとの待ち合わせにはまだ時間がある。
あたしは時間を確認すると、靴を持った右手をダラリと下げた。
もうしなさ気に、しょんぼりとしてるように見えるミュール。
それが妙に情けなく見えて、思わず同情したくなる。
────あたしみたい。
未だに同僚とのコミュニケーションが苦手で。
この会社で気兼ねなくおしゃべりできるのって言ったら、……認めたくはないが、あの常識ハズレの専務だけかも知れない。
社内ではマイナスなイメージや噂しかないあたしに、なんの気兼ねもなく声を掛けてくれる変わった人。
まぁ、あんな人だから、ってのもあるんだろうけど。
って、なんであたし彼のことばかり思い浮かべているのだろう。
緩み始めた頬に、慌てて気合を入れなおす。
こんなところで、ニヤニヤしてる場合じゃないんだ。
軽くコホンと咳払いをしてから、姿勢を正した。
そんなとき、ふと感じる人の気配。
しかも、さっきからやけに誰かに見られている視線を感じる。
きょろきょろと、あたりを見回すけど。
辺りはただの昼過ぎの、ガヤガヤと人波が絶えないオフィス街の駅前。
いつもの、風景。
でも、誰とも視線が合わないのに、見られてる感覚。
(なんか…やだなぁ)
ジリジリと暑さが刺すように降り注いでいるのに
背中には、ゾクリと嫌な汗が伝う。
以前、ストーカーまがいのことをされたことを思い出したからだ。
「おねーちゃんどうした?なんか困ってんの?」
ビクリと、反射的に顔を上げる。
くたびれたサラリーマンが、あたしに向かって手を差し出した。
ニヤニヤとした、下卑た笑いと共に。
反射的に、体を引く。
こちらが困ってるのを見ての親切なのかもしれない。
けれど。
あたしには、今、目の前の人に優しく出来るほど余裕がないのだ。
震える声を気づかれないように、毅然と笑う。
「あ。大丈夫です。ご心配なく」
「あ、そう」と、あっさりと手を引っ込めるオヤジの背中を見送ると、安心感からかますます動機が激しくなった。
ヤバイ。あたし、このままここで倒れるかも。
ドクンドクンと、心臓が血液を送る音が耳元で聞こえるようだ。
アスファルトから、ストッキングを通して直に伝わる熱が、どうにかあたしを支えてくれてる。
血の気が、すぅっと下に落ちてゆく感覚に、
あたしは再びガードレールに、腰を押し付ける。
ゆっくりと深呼吸。
震える手で、携帯を探す。
けど、その頼みの綱の携帯も電池が赤いマーク。
思わず、掌を額に当ててしまう。
ほんとに、何もかもが最悪のタイミングで回ってる気がする。
呼吸がしづらくて、何度か深く目を瞑った。
大丈夫。大丈夫。
みんな知らない人だけど、あたしの周りにはとりあえず人がいっぱいいるし。
何かあったら、大声を出せばいい。
そうしたら、一人くらいは…あたしのことを気にしてくれるだろう。
以前の、暗闇でいきなり抱きつかれた感覚が体全体を覆い
あたしは細かく震える指先で両腕を抱きしめて、それに耐える。
それでもどうしても、誰かに見張られてるような感覚から抜け出せないあたし。
ジワリと滲む涙に、「大丈夫」と
何度も言い聞かせながら、自分を励ました。
何度震える声で励ましてみても、根本的に怯えてるあたしがいるんだ。
そんなのちっとも解決になってない。
もう、ヤダ。
誰かに気にして欲しいわけじゃない。
誰かに助けてもらおうとも思ってない。
彼が……。
傍にいて欲しい人が、ここにいないということの喪失感を味わってるだけ。
ほんのちょっとの電池だったけど。
もしかしたら、発信途中で切れちゃうかもしれなかったけど。
目じりから小さな雫が零れる。
信じてもいない神様に、願いを乞う。
お願い。
お願いだから。
祈るように、メモリーを呼び出した。
俯き加減のまま、携帯を耳に当てる。
何度か呼吸を整える。こめかみに、汗が伝うのが分かった。
それを拭うついでに、頬に伝う涙も拭う。
いつもなら、たいした事ない発信までのほんのちょっとの間。
それすらも、耐え難い時間。
聞きなれた音に、ほんの少し緊張が緩むのが分かった。
でも、瞬間ビクリと肩がこわばった。
あたしの目の前で鳴った、携帯。
足元に広がった、黒い影。
やだ、また。
精神的にギリギリだったんだけど、歯を食いしばって顔を上げると。
そこには、携帯を耳に当ててにっこりと涼しげに微笑む、常識ハズレのあの上司。
「なにしてんの?」
あたしの耳に当ててる携帯からも。
当ててない左耳からも。
おかしさを堪えてるような、聞き慣れた───そして、ずっと聞きたかった声が
───した。
金色のサラ髪が、車の排気でふわりと揺れる。
顔をしかめた彼が、口の端を下げながらわざとらしく咳き込んだ。
「……ずっと見てたけど。よくこんなトコにいれるね。肺が真っ黒になりそう」
たしかに、彼にはここは似合わない。
クラクションが鳴り響く車道に、チラリと視線をやる。
グレーの色のついた空気が、あたしたちを取り巻くようだ。
「あ、あたしだっていたくているわけじゃないっ」
突然の出来事に、なぜ彼がここにいるのかもすっ飛ばして、反論した。
あぁ、どうしてあたしはこうなのだろう。
本当は嬉しくて嬉しくて、仕方がないのに。
「んもう。いつ電話かけてくれるのかなーって、ずっと待ってたのに。絢さん、もすこし俺に頼ってくれてもいいんじゃないの?なんでも自分ひとりで解決しようと思ってない?」
図星を付かれたようで、ドキリとする。
なるべく、人に頼らないでいたい。
自分で出来ることは、自分で済ませたい。
まわりにいる女の子たちのように、素直に甘えることの出来ないあたしは幼いころからそうだった。
自分のことで、人の手を煩わせるのがイヤなのだ。
けれど……。
チラリと盗み見る目の前の彼の顔。
あたしは気づいたんだ。
たとえ、今ここが知り合いだらけの場所だったとしても
あたしが必要としてたのは、キミのことだけだった、ってことに────。
「ね、図星、でしょ?」
からかうような笑顔と、ほら、と差し出された右手。
取るのをためらっていると、じゃあこっち?と屈まれた。
ぶんぶんと、あたしは顔を横に振る。
「俺的には、絢さんおぶったほうが楽なんだけど」
ぎざぎざだった、ヒールの先。
優しくしてあげたい、キミ。
「…か、肩貸してくれると……嬉しいんだけど……」
「やっと素直に言った」
彼は嬉しそうにくしゃりと笑うと、あたしの右側にそっと身長をあわせてくれる。
ふわりと香った彼の香りに、頭の芯までドキドキしてるのが分かる。
すれ違う人が、振り返る。
すれ違う人が、思わず道を譲ってくれる。
あたしの隣を歩く青年は、一体どれだけの人を惹きつけてるのだろう。
そして、そのたくさんの人を惹きつけてる青年があたしのことを、好きだと言う。
けど、それよりも。
この人は、どんなことがあってもあたしを助けてくれる。
──守ってくれる。
そう思えることが、嬉しいと心から思う。
あたしのわき腹にそっと添えられた、彼の左手。
ほんのりと伝わるその感触を失うのが、怖いって思うの。
俯いたままの視線を、こっそりと斜め上に向けてみる。
この暑さの中、汗一つかいていない彼の横顔。
薄い顎に、日焼けなんて言葉は縁遠い白い肌。
「仕事終わったら、食事にいかない?」なんて、ここぞとばかりに誘い文句を並べる
常識ハズレの愛しい人へ、心の底からの感謝を込めて、ありがとう。
そして、
ほんとは、いたりしちゃってるのかなぁ?
神様?
なーんて、心の中で問いかけてみたりした。
「ちょっとまって。ねぇ、ずっと見てたって…。アンタいつから見てたの!?」
ピタリと歩みを止めたあたしを、めんどくさそうに眺めた後、隣の年下の上司はぬけぬけとこう言った。
「絢さんが、がに股で正面玄関から出てくのが見えたからさ。まぁたなんかもめたのかなーって」
そ、そんな最初から。
じゃぁ、不貞腐れてハンバーガー3つ食べたことも。
ゲームセンターで、思い切りもぐらたたきしてたことも。
全部…見られてた?
思わずピンとのびてしまった背筋。
そして歩みを止める、不揃いな足元。
立ち止まったことを不審に思ったらしい彼が、あたしを覗き込む。
そして勘のいい彼は、慌ててこう言った。
「俺、いっぱい食べる女の人、好きだよ?」
「う、うるさいっ!」
おしまい。
2006.8.18 momota
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