足取りが重い。
こんな後ろめたい気分は、久しぶりだ。


結局答えがわからない俺は、そのまま牧野の家へ。


相変わらず、薄くてぼろっちいドア。
いつもならなんてことないドアなのに、今日はあけるのを躊躇った。


窓から漏れる香りは、とてもいいもので。
ドアから漏れる細い明りの筋にさえ、暖かさが感じられる。



俺が望んでる幸せが、形を成してそこにあると実感する。



ごくりと息を飲むと、ドアノブに手をかけた。
軽い音と共に、ドアを手前に引くと玄関脇のキッチンでなにやら牧野は忙しそうに動き回っていた。


「あ!司。ごめん、今手が離せないから適等に座っててよ」


鍋の蓋を片手に、グルグルと何かをかき回してる。


「…なんだか、大騒ぎだな」


苦笑しならが呟くけど、心は重い。
早くこの重みから逃れたいと思う。


「牧野……」
「なに?ビーフシチュー作ったよ、食べるでしょ?」


真剣に鍋を見つめてる牧野。


「……俺、おまえの大好きだっていうものわからなかった…だから、なんも持ってきてないんだ」


一気にまくし立てるように、吐き出した。
けど、視線を逸らさず。
牧野を見つめたまま。


「え?なに?なんで?司きてくれたじゃん」


牧野は不思議そうに、首を傾げながらカチリとガスを止める。
途端にブワリと鍋から湯気が上がった。


「……おまえ、大好きなもの持ってこいって言っただろ?俺、わかんなかったんだよ。
なさけねぇよな…。おまえにはあーしろこーしろ、散々言ってるくせに。おまえのこと、ちっとも分かってなかった」


自嘲気味の笑いが零れると同時に、優しく首に巻きつく白い腕。


「なに言ってんの……」


牧野の腕は、腕まくりをしてる所為かやけに細く感じた。


「あたしの、大好きなもの…わかんないの?」


それは決してとがめるような口調ではなかったけども。
ほんの少し、寂しさが混じっていて。


「わりぃ」


俺も牧野の背中に腕を回しながら、頬に口唇を押し付ける。


「んもう。ほんとに、わかんない?」


口ごもる牧野の様子に、俺はまたもや情けなさでいっぱいになった。


「今、あたしの腕の中にあるんだけど……」
「は?」


言いづらそうに告げられた言葉に思わず牧野の肩を掴んで、自分から引き離してまじまじと眺めた。



ほんのりと赤く染まった頬は、部屋の熱気だけではなさそうだ。


「だーかーら。あたしは司が来てくれればよかったのっ」


こんなこっぱずかしいこと言えないからメールにしたのに、と照れたように視線をずらす牧野。


「だって、司、あたしの誕生日のとき…プレゼントだけ…藤井さんに持ってこさせたでしょ」


数ヶ月前のことを思い浮かべる。
たしかに、そうだ。
どうしても、28日中には会えそうもなくて。
せめてプレゼントだけでも、と秘書の藤井に頼んだんだ。


「お、おおおおおまえっ!紛らわしいこと言うんじゃねーよっ!!!」


ことを理解した俺は、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。
けど、恥ずかしさだけじゃない。


牧野が俺を、望んでくれてる。
それが、震えるほど嬉しい。


「アハハ、すっごい悩んでた?もしかして」
「悩んでたもなにも……・・・」


牧野は再び鍋の前に戻ると、ゆっくりと鍋をかきし始めた。
そのたびに、おいしそうな香りが部屋に充満し空腹を確認する。
すっかりと、牧野の貧乏料理に慣れてしまった証拠だ。

緊張も解け、空腹感に囚われる中思い出すのは、数時間前の出来事。

あいつらにも相談しちまったよ!
まじでのろけてただけじゃねーか!俺は!!


牧野はまた忙しそうにキッチンを駆け回り始めた。
カチャカチャとテーブルに皿を置く様子を、俺はバカみたいに目で追うことしかできなかった。
けど、それが突然動きを止めた。


「……あたしは、司さえいれば…いいの。それだけで充分…なんてね」


       

ボソリと呟かれた言葉が、はしゃぎすぎてる心の奥に沁み込むように重く広がる。


そうだ。
いつもいつも、一人で過ごさせてきた気がする。

5年の付き合いと言ったって、一緒にいれた時間なんてものは数え切れるほどだ。

牧野に甘えて、わがままばかりを押し通す俺を責めるなんてことちっともしないで。
いつも、いつも笑って出迎えてくれた。

一人の寂しさは、俺だって充分わかってるつもりなのに。
まわりが楽しげなほど、募るものは同じものだったはず。


俺は牧野のアパートを飛び出した。


バタバタと大通りにでると丁度花屋が目に入る。
そのまま店に飛び込むと、目の前に置かれている薔薇の花を指差した。


「これ、全部くれ」


店員は、驚いた顔で固まってたけど。
注文通り、薔薇の花をひとつの束にまとめる。

別にそのままでも構わなかった。

薔薇は薔薇だし、そのままでも充分美しいと思えたから。
なにも着飾らなくても、充分な輝きを放ってる牧野のように。


けど店員は頼んだ覚えのないエンジのリボンをつけ、キレイにラッピングしてくれた。


「ハイどうぞ。ありがとうございました。彼女に、ですか?」


にっこりと人のよさ気な笑顔で、渡された花束。


「……あぁ。これから、二度目のプロポーズ」


もう、一人にさせておきたくないと、心から思った。
もちろん常日頃、思ってたことだけども。
こんなにも強く思ったのは、初めてだった。


俺自身を強く望まれたのも嬉しかったし
俺が牧野を強く望んだのも、事実。


花束の周りのセロファンが、風に揺れてかさかさとなった。
寒さに揺れてる、木の葉を思い出す。


あぁ、俺は牧野がそばにいてくれるだけで
こんなにも、温度が上がる。
世界が、この世のすべてが優しく、愛しく思える。


さすがに、二度目は断られないだろう。
あ。確か一度目も薔薇の花を贈った気がする。
全部返されたけど。
量は、だいぶ減ったんだ。
さすがに返されることは、ないだろう。


この日を、あいつが覚えていてくれるように。
薔薇の香りを嗅ぐたびに、今日を思い出させてやる。
一人じゃなくなった日のことを、けして忘れないように。




早く牧野の待つ場所へ、かえろう───。
暖かくて小さな、あの場所へ。





おしまい