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AIR
〜When the flower is scattersed〜
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 「・・・わかりました。来年も道明寺さんにお願いすることにしますよ。ここまで良い条件を出されたら、
  他に頼むわけにもいきませんからね」

 「ありがとうございます」

 掛けていたソファから立ち上がり、深く頭を下げた。
 目の前に座る、この瞬間からクライアントとなった神崎専務は、満足そうに口元を歪めた。

 

 毎年3月下旬に行われる、NMCコーポレーションの新人研修。
 その会場をめぐり、他ホテルと価格競争を繰り広げてきたのだが、今、メープルの勝利で幕が閉じた。

 「詳しいことは人事と打ち合わせていただきたいのだけれど、ざっと日時だけでも決めておきましょう。
  道明寺さんの都合の良い時間に、こちらが合わせるようにします」

 鞄の中から手帳を取り出し、スケジュールを確認する。
 と、挟んであった薄い紙が2枚、ゆっくりと床に落ちた。

 「・・・落ちましたよ」

 「あ・・・・」

 伸ばした手よりほんの少し早く、神崎専務の手がそれに触れた。

 「・・・写真ですか・・・?」

 見るな・・・という願いも届かず、専務はそれに目を向ける。

 「・・・道明寺さんは、まだ学生さんでしたっけ?」

 「・・・ええ」

 「いいですなぁ。こういう写真を見ると、自分の若い頃を思い出しますよ」

 笑いながら、写真を差し出す。
 捨ててしまいたいのに捨てられず、かといって見るのも辛いこの写真。
 ずっと手帳に挟んだままになっていた。
 久しぶりに見て・・・・・予想通り胸が痛んだ。


 「・・・・・昔の写真ですよ。もう・・・いないんです」


 「・・・・・・・」

 その後、打ち合わせの日程を決め、大学や家の事等とりとめのない雑談を30分程度したのだが、
 写真について、専務は一言も触れなかった。
 『いない』という言葉をどのように解釈したのかはわからないが、それがとても有り難かった。 












 「・・・そういう事だから、よろしく」

 ババア―――今は『社長』と呼ばなければいけないのだが―――に、契約が成立したことを伝える。
 仕事を手伝い始めたとはいっても、学生に出来ることは限られていて、大まかな案だけ自分で作り、
 あとはメープルの社員に任せる・・・そんな風に進めてきた。

 「さて・・・と」

 携帯電話を切り、MNCビルを出る。
 吹きつける風は春のそれらしく、適度に乾燥していて心地よかった。
 空も爽やかに晴れており、このまま社に戻るのは、なんだか勿体ないような気がした。
 大通りに出て、タクシーを拾う。
 行き先を尋ねられ、一瞬と惑ったが『道明寺邸』と告げた。
 大学に戻っても、講義に出て居眠りするだけだし、今日の詳しい報告だって、ババア・・・社長が
 帰ってから自宅ですればいい。
 それに・・・今なら行けるような気がした、『あの場所』に。




 自室に戻り、スーツを脱ぎ捨てる。
 束縛から逃れられたかのように気分が軽くなった。
 Tシャツとジーンズに着替えをし、大きく息を吸う。
 商談に持って行った鞄の中から手帳を取り出し、挟んである写真を抜き出した。
 先刻はちらりと見ただけですぐにしまってしまったが、いい加減断ち切るためにも、写真と・・・
 自分と向かい合わなければいけない。




 写真を持ち出し、庭へ出た。
 ババアが大切にしているバラ園を抜け、小さな丘に出る。
 何故、庭にこんな丘があるのか、昔タマに訊いたことがある。
 ・・・はっきりとは覚えていないが、子供たちが遊べるように・・・なんて理由だったはずだ。
 とはいっても、ここで遊んだ記憶などないのだが。
 いや、遊べといわれたことはあったかもしれない。
 当時の俺はババアのバラ園を荒らすことに興味の大半を占められていたので、それに夢中だった。
 その後はいつも、タマにものすごい剣幕で怒られたのだが・・・
 
 とにかく、その丘の頂上―――といっても、それほど高さはないのだが―――まで行き、地面に座った。
 手を地面につき、空を見上げる。
 太陽の光がまぶしくて、思わず目を細めた。
 地面に直に触れる手のひらから、春の息吹を感じる。
 伸び始めた芝生の感触がくすぐったい。

 「ふあぁぁぁぁぁ・・・」

 大きなあくびをし、そのままごろりと横になる。
 視線と地面の高さがほぼ同じになり、普段見向きもしないような草花が、春の風に揺れていた。

 ・・・あの日も、こんな穏やかな日だった

 静かに目を閉じ、微かに残る光景を、頭の中に思い描いてみる。

  
  

 

 あの日もこの場所で、こんな風に寝そべっていた。
 楽しそうに花の冠を作る牧野を、じっと見つめていた。
 あまりにも真剣で、俺が隣にいることを忘れている様子で。
 それが悔しくて、途中何度も邪魔をした。
 そのたびに牧野は

 『道明寺の冠作ってるんだよ。邪魔しちゃダメ』

 と、笑った。









 『もう、おわりにしよう』

 雨の中、車から降りるなりそう言った牧野に、頷くことしか出来なかった自分に、今でも問い掛ける。
 
 本当に良かったのか、本当に、こうするしかなかったのか・・・
 こんな風になるのだったら、付き合わなければよかったのか、好きにならなければ良かったのか・・・
 
 最初は幸せだった。
 牧野が、他の誰よりも、何よりも大切だった。

 いつから、何がどこでどう間違ってしまったのか、今となってはわからない。
 ただ言えることは・・・
 ファーストフードは俺の口に合わないし、一流レストランでの食事は、牧野の気を重くするだけ。
 ユニクロノ服は俺にとってボロキレ同然だったし、有名ブランドの服は牧野にとって興味外のもの。
 そんな価値観の違いこそ、俺たちが超えなければならない大きな壁だったということ。
 こんなことにも気付かなかった自分を、今でも情けなく思う。





 牧野と別れることになって、奴らに散々質問され、けなされ、軽蔑される中で、1人だけ何も言わない奴がいた。
 
 「牧野と別れた」

 珍しく学校に来ていた類をパティオに呼び出し、一言そう伝えた。

 「・・・そう」

 類はそう言ったきり、黙ってしまった。
 俺ですらわからない『別れの理由』も、心の内も全て見透かされているような気がして、少し嫌な気分になった。
 目の前に広がる景色を見つめる。
 6月のパティオには、雨に濡れた花たちが嬉しそうに咲き誇っていた。
 空から零れる雫に、時折花びらや葉を優しく揺らす。

 「・・・牧野は、元気?」

 前を見つめたまま、つまり俺を見ないまま、類がぽつりと呟いた。

 「・・・知らねーよ。別れたんだから」

 「良かった」

 「・・・何が」

 「司のことだから、別れた後の様子が気になって、誰か見張りでもつけて報告させてるかと思った」

 ・・・殴ってやろうかと思った。
 俺を、そこまで見下しているのか・・・・と。

 「そんなことしてねーよ。・・・・・思いとどまった」

 やっぱりね・・・と、苦笑する。
 その顔が、またたまらなく気に入らない。
 いつだってそうだ、親友としてならともかく、牧野が介入した時の類は、いつも嫌な奴だった。
 いじめから牧野を助けたときも、熱海の船の上でも、静を見送った空港でも、フランスから帰って来たときも。
 その後の旅行もバスケも天草のパーティーでも、滋の一件も漁村でも。
 極めつけはN.Y。
 めちゃくちゃに傷つけた―――仕方なかったとはいえ、あの時のことは恨めしいほど後悔している―――牧野を、
 どうして類は追いかけてきたりなんかしたのだろう。
 いや、理由はわかっている。

 類も、牧野が好きだったから――――







 「・・・話したかったのは、それだけだから」

 じゃあ・・・と、類を残して歩き出した。
 雨が止んだわけではなかったけれど、これ以上類と一緒にいたくなかった。
 こいつが悪いわけじゃない、それはわかってる。

 ただ、同じ女を好きになっただけ・・・・・

 俺は一度その女を手に入れ、そして手放すことになった。
 類はそんな俺と牧野の傍にいた。

 ただ、それだけのこと。
 頭では理解できているのに、感情がついていかない。
 『もしこいつがいなかったら・・・』という考えが、頭から離れない。



 モシコイツガイナカッタラ
 ルイガマキノヲスキニナラナカッタラ・・・・・ 

 

 オレタチハ、ウマクイッテイタノカモシレナイノニ・・・・・




               




 







 
 はっきりした時期は覚えていないが、確か、俺たちが正式に付き合い始める少し前。
 
 「牧野にとって、類は『空気』なんだってさ」

 と、あきらが言った。
 空気かよ?!と、まず驚き、『いてもいなくても一緒なんだな』と、2人で笑った。



 花の冠を一生懸命に編む牧野に訊いたことがある。

 「お前にとって類が空気なら、俺は何だ?」

 そうだねぇ・・・と、暫く考えてから、牧野は編み上げた冠を、そっと俺の頭に載せ、

 「あんたはこの冠。あたしの中で1番だから。その栄誉を称えて、これを賞します」

 と、少し恥ずかしそうに笑って答えた。
 嬉しくて、牧野を強く抱きしめた。

 「苦しいよ」

 小さな声でそう言いながらも、背中にそっと腕を回す。

 
 時が止まればいい
 このまま、何もかも止まってしまえばいい


 本気で願った。




















 「・・・・・」

 気がつくと、辺りがうっすら暗くなってきた。
 考え事をしているうちに、どうやらうとうとしてしまったらしい。
 少し肌寒い。
 西の空は、綺麗な夕焼け色に染まり始めていた。
 それでもぼんやり座っていると、遠くの方からタマが杖をついてやってくるのが見えた。
 俺を呼びに来たのだろうか?

 「どうしたんだ?」

 聞こえるように、口に手を添えて大きな声で言う。

 「そんな大声出さなくても聞こえますよ」

 俺に向かって杖を振った。
 まったく、いつまで経っても憎らしいババアだ。
 使用人頭を(本当に)引退してから、そろそろ2年が経つ。
 とは言っても、体が弱ってしまわないように、ボケてしまわないように・・・と、週に何日かは
 簡単な掃除や洗濯を自主的に手伝っているようだが。
 タマがボケるのは、死ぬ直前だな・・・と、俺はいつも思っている。
 つまり、まだ暫くは健在だということだ。

 「まったく・・・坊っちゃんはいつもタマを年寄り扱いするんですから・・・」

 少し怒った様子で、それでも穏やかな表情で俺のところまでやって来た。
 
 「何か用か?」

 「いいえ。ただ、自分の部屋でお茶を飲んでいたら、坊っちゃんがここで寝そべっているのが見えたものですから」

 「嘘つけ」

 俺は笑った。
 タマの部屋から庭は見えない。
 
 「使用人の1人が、坊っちゃんが見当たらないと騒いでいたものですからね」

 どっこいしょ・・・と、タマが俺の隣に腰掛けた。

 「嫌ですよ、歳を取るって。簡単な動作さえままならなくなってしまうんですからね・・・」

 速く歩くことも出来ないし、腰を降ろすことですら、こんなに時間がかかってしまうんですから。

 そう笑うタマが、とても大切に思えた。
 小さな時からずっと傍にいてくれた人。
 血を分けた肉親よりも、ずっと大切な他人。
 いつまでも元気でいて欲しい・・・本当にそう思う。

 「・・・歳なんだからさ、あんまり無理すんなよな」

 面と向かって言うのも恥ずかしいので、夕焼けを見る振りをして、小さな声で言った。
 タマは聞こえないふりをしているが、目に浮かんだ涙をそっと拭ったことを知っている。


 「・・・坊っちゃんは、こんな所で何をされてたんですか?」

 『ちょっと考え事』なんて、かっこつけてもみたかったけれど―――考え事をしていたのは本当のことだが―――
 俺がここにいて、ぼんやりしていた、それだけで何を考えていたか、タマにはわかっているだろう。
 
 「・・・牧野のこと、考えてた」

 写真を差し出し、そう答えた。

 「つくしですか・・・」

 それ以上、タマも何も言わない。
 差し出された写真を受け取り、眺めた。





            

                                     



 2枚の写真、それは、俺たちがかつて幸せだったことの象徴。
 
 「・・・元気にしてるんでしょうかね・・・」

 「・・・さあな。あきらんとこの子会社で事務やってる・・・ってのは聞いたけど」

 「働いているんだったら、体は元気なんでしょうね・・・」

 『体』は元気。
 じゃあ、『心』は?




 牧野に『空気』と言わせた類。
 空気の定義は?
 気付かなくてもいつも傍にあって、必要なもので、いつまで経っても変化することのないもの。
 あの頃、牧野にとっての一番は、確かに俺だった。
 でも、『花の冠』はいつか形を変えるもの。
 生花のそれだったら尚更。
 枯れてなくなるそれが『空気』に勝とうとすることは、きっと無理だったんだろう。
 一瞬だったら可能かも知れない。
 でも、俺が欲しかったのは『一瞬』じゃなく、『永遠』だったから。

 「・・・なあ、タマ」

 「何ですか?」

 「もし・・・俺と別れた後、類と牧野が付き合い始めてたら、俺はどうするかな・・・」

 「お付き合いされてるんですか?」

 「もしもっつってんだろ?」

 人の話聞いとけよ・・・と、苦笑する。
 タマも、俺につられて笑う。
 
 「そうですね・・・」

 タマは空を見つめる。
 
 「きっと、怒り狂って暴れていたでしょうね。『類を殺す』なんて無茶なこと言って、西門さんや
  美作さんを困らせていたと思いますよ」

 「・・・いくら何でも殺したりはしねーよ」

 めちゃくちゃ言うな・・・と、タマを睨む。
 素知らぬ顔で空を仰ぐタマは、ふふふ・・・と小さく笑った。

 「でも、事実でしょう?」

 「・・・まあな」

 これは認めざるを得ない。
 殺しはしないまでも、殺したいほど憎んだだろう。
 でも、そうなって欲しかった・・・と、心のどこかで思う自分もいる。
 そうなれば、きっとあいつのことを諦められたと思うから。

 「・・・俺ってカッコ悪いよな。いつまで経っても未練たらしくてさ。もう戻ることはないって
  わかってんのに、諦めきれないんだぜ?」

 「・・・忘れた振りをして、無理して笑っている方が格好悪いですよ」

 意外な言葉が返ってきた。
 思わずタマを見る。

 「無理をする必要なんてないんです。忘れた振りをして未練を残すよりも、好きなら好きでいる方が
  いいんですよ。人の想いなんて、必ず昇華されるんですから。急ぐ必要はありません。
  ゆっくり、のんびり傷が癒えるのを待ってもいいんじゃないですか?」

 「・・・まるで経験者だな」

 失敗した経験者ですよ・・・と、タマが苦笑した。

 「戦死した旦那を・・・早く忘れなきゃいけないって、無理してたんですよ。そんなことできっこないのに。
  おかげで色んな事を犠牲にして、色んなことに遠回りしましたよ。」

 「・・・初めて聞いたな、そんな話」

 「失敗談なんて、かっこ悪くて話せませんよ」

 特に坊っちゃんなんかに話したら、この先ずっと馬鹿にされますからね・・・

 『そんなこと、しないぞ』・・・と言えない自分が悲しい。
 
 「でも、今日は特別です。失敗した人間にしか、失敗しない方法は教えられませんからね。
  タマから坊っちゃんへ、数少ない助言ですよ」

 どっこいしょ・・・と、掛け声をかけながらタマが立ち上がる。

 「タマは先に戻りますよ。坊っちゃんはゆっくり、考え事を解決させてから戻ってきてください」

 杖をつきながら、ゆっくりと丘を下っていく。
 不意に振り向き、俺に向かって言った。

 「過去を振り返ることは、決していけないことじゃないんです。ただ、『後悔』はしないでください。
  坊っちゃんが今でも悩んでることつくしがしったら、きっと彼女は悲しみますよ」

 再びくるりとむきを変え、今度は止まることなく歩いていく。
 やがて、タマの姿は消えた。



 
 昇華できない想いはない



 タマの言葉が心に重く響く。




  
 俺も、いつか思い出に変えることができるのだろうか

 時間はかかるかもしれない
 もしかしたら、辛いことなのかもしれない

 でも

 そうして変化した思い出は、きっとこの世で一番美しいものになるだろう

 汚れもなく、傷もなく

 美しく輝く珠のように





 そのときが来たら、あいつに会いに行こう

 作り物じゃない、心からの笑顔を見せて

 『大丈夫だよ』

 と、言ってやろう

 そうしたらきっと

 あいつも心からの笑顔で

 『あたしも大丈夫だよ』

 と言ってくれるから





 空を見上げると、ひとつ星が煌いていた。




 ***fin***
 


 
 

 





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            AIR  第4楽章


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BGM:***(亡き王女のためのパヴァーヌ)
MIDI作者:Windy
http://windy.vis.ne.jp/art/
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