惑星






…道明寺さんがアメリカに行ってしまって、数ヶ月が過ぎた。
私とつくしは、高校生生活最後の夏を迎えている。










「…優紀っ…!」

図書館の前でつくしが、ぶんぶん手を振っている。
私は笑って手を振り返しながらも、その姿になにか違和感を覚えた。



ある夏休みの一日、私はつくしと待ち合わせて図書館に行った。
そろそろ受験勉強に本腰を入れなくてはいけないから、二人ともバイトは減らしている。
だから、バイトで顔を合わせないことも多くなって、つくしに会うのは1週間ぶりだった。



私は、文学部に行って日本の文化や歴史を学ぼうと考え始めている。
そのことを話したら、つくしはちょっと複雑な顔をした。
つくしの言いたいことは、わかっている、
西門さんのことを引きずっているんじゃないかって心配しているのだ。
確かに、歴史に興味を持ち始めたきっかけは西門さんなのだから
まったく引きずっていないとは言えないけれど、
ま、大丈夫かなって思えるくらいにはなった。
西門さんが背負っている家だとか伝統だとかいうものを理解したいのだと思う。
今更いくら理解したところで、終わってしまった恋は戻ってこないけれど、
きちんと私の心の中で片をつけて、次の恋をはじめるには必要なことなんじゃないかと思う。
それに、興味をもってみれば、なかなか面白そうなところがある。
テレビや映画の時代劇が楽しく見られるようになりそうだ。



夏休みの図書館は冷房が効いていて、私達みたいな受験生でいっぱいだった。
なんとか隣り合った席を確保したつくしと私は、それぞれが持ってきた問題集を開いた。
しばらくは、眼の前の課題に集中して取り組むことにする。
ペンの走る音と、ページをめくる音くらいしかしない静かな時間が続く。
2時間ばかり経って、冷房で少し寒くなった私は手提げの中からカーディガンを引っ張り出した。
あと1時間ほどしたらお昼にしようと考えながら、隣のつくしを見る。




つくしは、医療関係の資格を身に付けるんだと言っている。
道明寺さんが刺されて入院した時に、きびきびと働く人達がとても素敵に見えたんだって。

「ま、あいつの体力が怪獣なみだから助かったんだっていう意見もあるけどさ…。」

前に、ちょっと照れくさそうに話してくれたことがある。

「どんなにお金があったって、命を助けてくれる技術がなかったら、どうしようもないでしょ?」
「いろいろあったけれど、あいつが生きててくれてよかったなって思うもん。」

少し赤くなりながら話すつくしは、同性の私が見てもギュッって抱きしめちゃいたいくらいかわいかった。



カーディガンを羽織りながらつくしを見て、さっき会った時の違和感のわけがわかった。
つくしはポロシャツを着込んでいて、しかも一番上のボタンまできっちりと止めているのだ。
今年は気象庁開設以来とかの猛暑で、ものすごく暑い。
街を行く人達の服装もそれに合わせて、軽くて薄いものが多い。
その中で、つくしの服装は明らかに浮き上がっているものだった。
きょうは私も細い肩紐のタンクトップ一枚で出かけて来ている。
どうしたのだろう…風邪でも引いたのかな?
それにしても、下向いていて首のところ苦しくないのかな、あんなにボタン止めなくてもいいのに。



「…何…?」

私の視線に気がついたのか、つくしが小さな声で聞いてくる。
それに笑い返しながら、私は手を伸ばしてつくしの第1ボタンを外してあげた。

「…苦しいでしょ?」

目を丸くしたつくしの耳にささやこうとして顔を近づけて、私はあるものを見つけた。
ポロシャツの衿に隠れるようにして、プラチナの細いチェ−ンが見えている。
思わずそれを引っ張ると、土星の形をしたトップが出てきた。

「…優紀、ちょっと…。」

つくしが睨みつけるのにも構わずに、ゆっくりと鑑賞させてもらうことにする。
図書館の中だから、つくしは大きな声を出して怒るわけにいかない。

「…ふーん…。」

プラチナの土星を金の輪が取り巻いて、そこに小さなルビーやダイヤモンドがちりばめられてキラキラしている。
そんなに大きくないけれどなかなか豪華でかわいらしい、そのくせスッキリしたデザインだ。

「…道明寺さんにもらったって、言ってたアレでしょ?」

小さな声で聞くと、こくりとうなずく。

「…ずっと、肌身離さずつけてるって、わけね…。」

からかうように言うと、つくしの顔がほんのり赤くなった。

「…いろいろあったものね…。」

手のなかで転がしながら、今までのことを思い出して見る。
つくし、本当によくがんばったね…。

「もう、いいでしょ…かえして。」

つくしがチェーンを引っ張る、私は名残惜しそうに軽くトップを引っ張ってみた。
それでチェーンに引っかかって、つくしの襟元が大きく開いた。



「あぁっ!!」

目に入ったものに驚いて、私は思わず大きな声を挙げてしまった。
回りの人たちがいっせいに振り返って、咎めるような顔をする。
受付にいる司書のお姉さんが、私の顔を見てやれやれと首を振った。

「…ごめんなさい…。」

小さな声でつぶやいて、隣のつくしはと見ると、きょとんとしている。

「お昼いこっ…!」

有無を言わさずに、強引につくしの手を引っ張って、私は図書館から飛び出した。



ハンバーガーショップの一番端の席に陣取って、やっと一息つく。
つくしはというと、まだお昼には早いよと不満そうにしている。

「つくし、ちゃんと答えなさい…。」

ずんと顔を近づけた私に、つくしはちょっと変な顔をした。

「なによ、いきなり…。」
「それは、何…?」
「…へ…?」

びしっと襟元を私に指差されたつくしは、首を傾げた。

「…土星のネックレス…。」
「ちーがーうー!!」

私はつくしの衿に手をかけて、押し広げる。

「…なにするのっ…!」

首の付け根のところと、右の鎖骨の上にくっきりとばら色の花びらの形をした痕がついていた。



「…あ…。」

やっと何のことなのかわかったのだろう、つくしの顔がゆでだこのように一瞬で赤くなる。

「つーくーしー!」
「あ・あの…。」
「親友の私に隠し事なの…?」
「ち・ちがいます…。」
「じゃ、話すよね…。」

真っ赤な顔のまま、つくしはこくこくとうなずいた。



先週の土曜日の朝早くに、いきなり道明寺さんの家から迎えの車がきたこと。
家に行ってみればヘリコプターが準備してあって、南の島の水上コテージに連れて行かれたこと。
そこで道明寺さんが待っていてくれて、2日間だけだけど一緒にすごせたこと。

「すごく綺麗なところなの…海も空も透き通るみたいにきれいでね…。」
「海の底まで見えるの、魚が泳いでいるのとか、サンゴの森とか…手が届きそうに…。」

話しているつくしの顔が余り幸福そうに輝いているので、こっちが照れくさくなるくらいだった。


…天然でボケているのなら許せるけれど、わざと微妙に論点をずらしているのなら許せない。
ちょっと厳しい顔をして見せる。

「…つくし…。」
「…はい…?」
「海や空の話はもういいの…それの話をしなさい、それの…。」

襟元を指差して軽く睨みつけると、つくしはへらへら笑う。

「あ…、コレ…これは…。」
「じゃ、桜子さんや滋さんも呼んで聞いてもらった方がいい…?」

携帯を取り出して笑うと、結構真剣に焦った顔をする。

「あ…それは…それだけは…止めて…お願い。」



「そ・れ・で…?」

私が睨みつけながら先を促すと、ぽつぽつ話し始める。

「うん、別れる時にずっと肌身離さずコレをつけているって、約束したの…。」

指の先に土星を持ち上げて、それを見つめながら、ちょっと寂しそうに笑う。

「…道明寺も自分用にって、よく似たデザインでつくっていた…。」

遠い目をして言う。



「遠くにいても、近くに感じていられるように…。」



そっと土星に唇を寄せる、その横顔はなんだか切なくて、見ていて胸が痛くなった。



「土星って、惑星なんだよね…。」
「…うん…?」

不思議そうに首を傾げたつくしに言う。

「地球から見ていると、あっちに行ったりこっちに行ったり、うろうろしているから惑星なんだって。」
「…そうなの…。」
「でも、本当はちゃんと太陽の回りをまわっているんだよ…。」

つくしの肩を抱いて、元気に言ってみる。

「だから、ちゃんと回り回って、きっと巡りあえる日がくるよ…ね。」
「…ウン…。」
「元気だして…。」
「…ありがとう…。」

下を向いて答えたつくしの声は、少し震えていた。



夕方暗くなるまで、私とつくしはハンバーガーとコーヒーのセットだけで粘りつづけた。
かなり、すごく、とても迷惑な客だったに違いない。
結局、例のばら色の痕について、つくしは話してくれなかったけれど、ま、そうゆうことなんだろうと思う。
聞かなくてもつくしが幸せだってことはわかるから、親友の私としてはいいかもって思ってしまう。
(桜子さんと滋さんを呼べばよかったと、一瞬だけど思ったのはつくしには内緒にしておこう…。)
まだまだ前途多難な遠距離恋愛は続くけれど、つくしには幸福になって欲しい、それが私の願いだから。






その日家に帰った私は、予定の半分もすすんでいない問題集を開いて、愕然となる。

「…あの時、お節介につくしのボタンをはずしていなければ…よかったのかも。」

夜空を見上げて、ため息まじりにつぶやく。

ま、仕方ないね、親友のためなら…。

「明日からは、がんばるぞぅ!!」



                                Fin